はじめに
20代にできなかった世界旅行を、30歳で彼氏と一緒に!と
2008年2月29日に出発した世界一周旅行。
旅行日数のべ425日、2009年4月29日に帰国いたしました!
最終地のハワイで彼氏は旦那となり…
準備期間から旅行中のあれこれ、事後報告など右のカテゴリ別にご覧ください☆
 
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ブハラのイスラム建築めぐり
ブハラではB&Bに泊まっているので、朝食が付いている。
ナンと目玉焼き、ソーセージ、デザートのフルーツとなかなか豪華なのがうれしい。

どうやらお腹は復活したようである。

午前中の日差しはまだやわらかく、
吹いてくる風はいくぶんさわやかだ。少なくとも昨日のような熱風ではない。
早速観光にでかける。

まずは昨日外観だけ見て力尽きたカラーンモスクだ。
中はとても広く、青いタイルやレンガの模様の装飾が美しい。

ミナレットに登りってみたかったのだけど、
午後2時からだと言われて退散。

実は午後にまた来たのだが、入場チケット代の他に
4500スム(370円)を請求されたので登るのをやめた。
1000スムぐらいだったら登りたかったのに…。


午前中は、歴代のハーンが住んでいたという城跡にも行ったけど、
ここの入場料も高く、最初ふたりで8000スムと言われたので
入るのをやめることにして後ろを向いところ、
なんと電卓を叩いてディスカウントしてきた。
どういうシステムになっているんだろうか…。

せっかくなので中に入って見学したものの、どちらかというと
外から見えるツルンとした城壁の方がインパクトがあり印象に残った。

この城の正面あたりにモスクがあり、この建物も美しかった。
2008080104.jpg
お祈りの時間が近いのか、人々が絨毯を引き始めていたのだが、中を見せてくれた。

それからこれは9~10世紀に建てられたというイスマイールサマー二廟で、
小さい建物ながら、こんな凝ったレンガの装飾は初めてみた。


昼寝をしてから夕食ついでに散歩に出た。
数少ない安そうな食堂が軒並みクローズしていて
今日は夕食抜きかと覚悟したところ、
たまたま裏道のインターナショナル料理のカフェが営業していたので
値段が張りそうなのを覚悟して店に入った。

料理の値段は思ったとおりの観光地価格だったけれども、
予想外にうれしかったのはテラス席があり、
そこから交差点バザールであるタキのモコモコとした屋根越しに夕日が望めたこと。

後ろ手に組んだウエイターが
音を立ないようにゆっくりとシルバー類をテーブルセットしてくれたり、
注文したコーラとファンタの瓶を確認させてからゆっくりグラスに次いでくれたり
こちらが恐縮してしまうほどの丁寧すぎるサービスだったのだけれども
もちろん悪い気はしない。

ブハラ観光の締めくくりにピッタリだった。

明日は朝のバスでサマルカンドに向かう。


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【2008/08/01 19:19】 | 13か国目★ウズベキスタン(08.7/29〜8/9) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ブハラ~サマルカンドへ
当初、タシケントで立てた計画としては、
ブハラから特急列車でサマルカンドへ戻ろうと思っていた。

朝7時半発のシャルク号は軽食も付くと言うし、
快適な3時間の列車の旅がしてみたかったからだ。

でも、ブハラ駅に到着したときにこのサマルカンド行きの
チケットを買うのをすっかり忘れてしまった!

市内から駅まで30分ぐらいかかるので、2泊しか滞在しないのに
わざわざ駅にチケットを買いにいくのも面倒くさく、
かといって当日の早朝にチケットが買えるかも分からないので
列車をあきらめてバスでサマルカンドに向かうことにした。

前情報では、バスだと所要6時間ほどらしい。
長い道のりになるけどしょうがない。

マルシェルート乗り場でバスターミナル行きの車を待ったが
満杯の車しかこないので、タクシーを使う。

バス亭に着いたのはちょうど9時。
待ってましたとばかりにタクシーの客引きがつきまとってくる。
9時半ごろにサマルカンド行きのバスがあるとのことだったので
タシケント行きの(サマルカンド経由)バスに乗り込む。

その間、こっちが聞きもしないのにタクシーは勝手にどんどん言い値を下げていって、
最初30ドル(4万ソム)だったのが最後は1万5000ソムまで料金が下がるのを聞いていた。
タクシーだと3時間で着くらしいが、私たちはそんなに急いでいるわけでもない。
ちなみにバスは8000ソムだった。

ところが、バスに乗りこんでそろそろ2時間が経とうというのに
ほどほど人は集まっているのだがまだエンジンさえがかからない。
その上、予想していたことだけど、バスの中はめちゃめちゃ暑い。
少しだけタクシーに乗らなかったことを後悔してきた。

それでも11時すぎにようやく出発し、
途中でお昼休憩をはさんで16時ごろサマルカンドのバスターミナルに到着した。
思ったより早く着いてよかった。

サマルカンドでは泊まろうと思っていた宿バハディールにチェックイン。
今日は客が多いらしく、最後の1室と言われた。

ボリュームたっぷりの夕食の後、レギスタン広場に歩いていく。
週末の夜はイルミネーションショーをやっているとガイドブックに書いてあったからだ。

あたりが暗くなると、日本人のツアー客が広場にやってきた。
ガイドらしき人が、それまでベンチに座っていた地元の観光客を追い払う。
ちょっと変な雰囲気である。

私たちもこのベンチに座っていたらお金を徴収されそうだと思い
一歩下がった噴水の縁に腰をかけてぼんやりしていた。

すると、警察官がこちらに向かってくる。
いよいよここで初のパスポートチェックか!?
と思って身構えると、日本人か?と聞いてくる。

これからここで、日本語のショーが始まるからチケットを買わないかということだった。
値段を聞くと5000ソム。
高いからいらないというと、ディスカウントさせるからいくらなら買うかという。
警察がである。

必要ないので断ったけど、後ろで見ている分にはOKらしい。
しばらくして日本語でナレーションがはじまった。
でも音が割れていてあまりよく聞こえない。
そしてこのイルミネーションショーだけど、
ショーというより単なるライトアップに説明がついただけのようだ。

説明が日本語なので、ほかの外国人は飽きたのか素通りしている。
私たちも少し見ただけで宿に帰ってきてしまった。


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【2008/08/02 19:26】 | 13か国目★ウズベキスタン(08.7/29〜8/9) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ウルグットでスザニ探し
今日は日曜日。
サマルカンドから25キロほど離れたウルグットにあるバザールで
スザニの市がある曜日らしい。

私が「スザニ」という名前を聞いたのは、
中央アジアのガイドブックの中にあった記事を読んだ時である。
だけど、その布を、私は数年前に見たことがあった。

丁寧な刺繍がなんとも味わいがあり
原色が使われたカラフルで丸みのある模様が目をひく
素敵な布だったので記憶に残っていたのだ。

ガイドブックに同じような柄の布が紹介されいるのを発見し、
これがウズベキスタンの伝統的なスザニという刺繍された布であること、
もともとは母が娘のためにひと針ひと針刺繍して作る壁掛けで
嫁入り道具として持たせる大切なものだということ、
そして数年前からその骨董品価値が世界的に認められていることを知った。

だからウズベキスタンに来たら
せっかくなので自分のスザニを買いたいと思っていたのだった。

サマルカンドの観光をまだ全くしていない私たちだけれども
午前中にマルシェルートをつかまえ、このバザールに繰り出したのだった。


30分ほど車に揺られ、バザールに到着するとすごい人ごみである。
バザールの規模も大きく、なかなかスザニのブースにたどり着かない。
2008080301.jpg
品揃えは食品から生活雑貨、民族衣装まで
ここにないものはないんじゃないかという充実振りだ。
アトラス模様の派手でラフなワンピースを着たおねえさんたちが
積み重ねたナンを手に持ち売っている。


なんとか、スザニが飾ってあるエリアにたどり着いた。
そしてここからが戦いであった。

何がって、少し立ち止まると、スザニを広げたおばちゃんたちが
なぜかセニョール、セニョールと言いながら迫ってきて
あっという間に囲いこんでくるのだ。
2008080302.jpg
そして、それぞれが私の手をつかんで
この柄はどうだ、いくらでどうだ、と言ってくるのだけれど、
聖徳太子じゃないしみんなの相手をいっぺんにはできない。

明らかに好みではないものは、ニェットとロシア語でノーと言って手を振ると、
今度は違う柄を持って、またセニョールセニョールと手をつかんでくる。

誰かの柄でちょっと気持ちが惹かれると、
それと似たような色味のものを別のひとが持ってくるので便利と言えば便利ではある。

でもこのやりとりにはかなり気力を消耗する。
そして、彼女たちが持っているのはほとんど機械織のスザニのようだ。

ハンドメイドのものと、機械のものは、素人目でもすぐに違いが分かる。
まるで別物と言ってもいい。

だけどそれらも刺繍としては綺麗であり、なにより安価である。
気に入った柄があったので、
休憩を2回ぐらい挟んで1時間ぐらいの交渉の末、3枚の布を買った。

おばちゃんたちとの交渉は思ったより疲れたけど
終わってみるとそれが楽しかったとも言える。
買い物ってそういうものかも。

ホッと一息つき、改めて買ったものを良く見てみると、
私の好みが丸出しで全部ピンク色ベースなことに気が付いた。
しかも安物なだけに、じっくり見るとチープ感が否めない。

これは求めていたスザニではないんじゃないか!という話になり、
やはり質の良いハンドメイドをひとつ買うことにした。

ハンドメイドの方もいろいろ柄があって、
見ているだけで楽しいぐらいどれも見事な刺繍である。
でも、こちらはなかなか値引きしようとしない。
それでも買うことは決めていたので、30分ぐらい交渉の末に手に入れた。
2008080303.jpg
ピンクだらけの戦利品
2008080304.jpg
ハンドメイドの方の刺繍を近くで見るとこんな感じ

今日はバザールに行っただけだけど
久しぶりに後先考えずに買い物をしたからか、
充実感でいっぱいになったのだった。


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【2008/08/03 20:58】 | 13か国目★ウズベキスタン(08.7/29〜8/9) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
サマルカンド、ティムールの青
かつてサマルカンドの町はチンギスハーンの時代に破壊しつくされ、
14世紀にティムールによって復興されたのだという。

だから現在わたしたちが見ることができる壮麗なイスラム建築は
その時代、中央アジアを納めたティムール帝国の首都であったころ以降のものだという。

3つのメドレセが向かいあっているレギスタン広場。
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レギスタン広場では、おとといの夜に
「イルミネーションショーのチケットを買わないか」と言ってきた警官が、
今度は「5000スムでミナレットに登らないか」と言ってきた。
この人は観光客相手にどれだけ儲けているのだろうねぇ。


ティムールゆかりの要人のお墓が集まっているシャーヒズィンダ廟郡
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青色が本当にきれい。

キルギスでスリにあったため、自分のカメラがないのが非常に悔やまれる。

ここ1ヶ月ほど相方のカメラを借してもらって写真を撮っているのだけれど、
じっくりと自分のカメラで写真を撮りたい瞬間がいくつもあった。
カメラがなくなって荷物と気持ちは多少軽くなったけど、
楽しみがひとつ減ったことに変わりはない。

ブハラ、サマルカンドと来て、早くマイカメラを買おうと心に決めたのだった。



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【2008/08/04 21:04】 | 13か国目★ウズベキスタン(08.7/29〜8/9) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ありえない!夜行列車乗り逃がす
ウズベキスタンに入った当初は、
事前に聞いていた警官の評判の悪さに常時身構えていたようなところがあった。

だけど実際は警官に賄賂を要求されたり嫌がらせされたりということは一切なく、
道端や店で出会う一般のウズベキスタン人にいたっては
外国人には興味深深といった様子でめちゃめちゃフレンドリー。
しょっちゅう何かしら話しかけてくる。
こどもたちは背後からでもハローと声をかけてきたりもする。

最初はよくカレーカレーと言われるので何のことかと思ったら
コリアと言っているらしかった。
ウズベク語なのかわからないけど、カレーと聞こえるのだ。
ん?と思っていると、
カレー?ヤポン?となるので、
うんうん、ヤポンと答える。ヤポンは日本だ。

たまに、コリヤ?ヤポーネ?と聞いてくる人もいる。
でも悲しいことにそのくらいしか会話は続かない。

だけど、言葉が分からないのにもかかわらず一方的にいろいろ話しかけてくるのは
なんだか中国人と接しているときに少しだけ似ている。

中国語世界の中国、ロシア語世界の中央アジア。
英語が話せる人は圧倒的に少ない。
日本だって日本語世界だ。

こういうときには少しロシア語勉強しとけばよかったかな、といつも思うのだけれども
いくつかの単語と、数字を覚えるのだけで精一杯だ。


話がそれたけれども、
これまでそんな人のよさそうなウズベキスタン人ばかりだったのだが
この国にきて初めて嫌な気分にさせられたのが駅の係員だった。

昨日、サマルカンドの駅に赴いて
今晩の深夜0時半発のウルゲンチ行き夜行列車のチケットを購入した。

だけどこのチケット窓口にいた係員が、いたく感じの悪い男で
買うまでいろいろ面倒だったりイライラしたのだけれども
とにもかくにも別の人から無事買えたのだからまぁそれでいい。

私たちはウルゲンチから世界遺産の町ヒバに移動し、
そこで2泊してタシケントに戻る予定であった。


今日は深夜の出発だけれども、町から駅までの交通が確保できるか心配だったので
私たちは正午のチェックアウト後、しばらく宿に荷物をおかせてもらい
18時ごろには宿を出た。駅に着いたのはその30分後ぐらい。

だから出発時間まで6時間近くあったけれども
待合ベンチでトランプをやったりして気長に時間をつぶしていた。
2008080501.jpg
列車のチケット。

いつの間にか日が暮れ、
天井にゆれる立派なシャンデリアに電気がともされるのかと思いきや、
真っ暗になる寸前まで明かりはつかず、
やっとついたと思ったら7個ほどあるシャンデリアのうち2個だけだった。
サービスよりも節電のお国柄なんだなぁ。
2008080502.jpg
なんだかんだでようやく22時を過ぎたころ
退屈がピークに足し眠気が襲ってきた。

横になって少し休んでいたら、警察が来てここで寝るなと注意してきた。
場所が悪かったのかと移動して、
そこでまた横になったらまた注意されてしまう。
どうやら駅構内のベンチで横になってはいけないらしい。

でも、お年寄りや子供が横になっている分には見てみぬ振りである。
おそらく若い男性にだけ注意している様子。
私たちも、相方には注意してきたけど私には直接言ってこなかった。
そういうところはやさしいんだろうな。


座ったまま眠気をこらえたりウトウトしたりしているうちに
ようやく24時に程近くなってきた。

チケット購入時に、係員の女性が24時に駅に来るようにとメモしてくれていたので
24時5分前ぐらいに到着した列車がウルゲンチ行きかと思って
チケットを持ってホームの入り口で係員にウルゲンチ行きかと聞いてみた。

違うという答えだったので、念のためチケットを見せたけどやはり違うと言う。

そうかーと思って、次の列車を待った。

そもそも、ロシア語が分からないというのが大きな敗因のひとつではあるけれども、
ひどい眠気のせいで億劫な気持ちになっていて
周りの一般客に確認するのを怠ったのがなんといっても悪かった。

深夜で眠たげな駅の係員の言うことだけを鵜呑みにしたのもよくなかったのかも。

24時半ごろに到着した列車に乗ろうとホームに入ると何かおかしい。

ウルゲンチ?と聞くと、嫌な雰囲気のジェスチャーをする。
まさかと思い、何人かの係員に聞いてみると
ウルゲンチ行きはもう行ってしまったという。

信じられない思いだが、その係員はすぐさま払い戻しするよう指示したので
間違いないのだろう。

ボーゼンとしながら払い戻しを待つ。
処理をしたのは昨日、窓口にいた例の感じの悪い男だ。
こいつら乗り遅れたってよ、間抜けだな、へへへ。みたいな感じで
こっちをチラチラ見ながら周りの人に笑いながら作業を進める。
被害妄想かもしらないけどまたしても非常に感じが悪のは確かだ。
チケット代の50パーセント以上が戻ってきた。

それより、これからどうするか。
時刻は深夜1時すぎである。

私たちが乗ろうとしていたタシケント発ウルゲンチ行き夜行列車は
月火金曜にしか運行がないため、次の列車は金曜になる。

日曜にはタシケントから飛行機に乗ることになっているので、金曜を待つのはキツイ。

かといって、今から宿の人をたたき起こして泊めてもらい
ひと寝入りした夕方にウルゲンチ行き夜行バスに乗るのもシンドそうだ。
それに、ヒバには1泊しかできないことになる。

駅の時刻表を見てみると、4時ごろにタシケント行きの列車が来ることになっているようだ。
もうそれでタシケントへ戻ることに決めた。

ただ問題は、チケットを買えるかどうかだ。
というのも、私たちが払い戻しをした時点で
サマルカンド発の夜行列車がひと段落した時刻だったようで
例の窓口の男は相方が引き止めるのを無視して窓口を閉めた。

朝来てチケット買えという。
カウンターには、昼と深夜の休み時間は記載されているものの
24時間営業と書いてあるのにだ。
しかもその、深夜の休み時間まではまだ1時間ほどあった。

ただ早く寝たかったからとしか思えない。

が、とにかくチケットカウンターが閉まってしまったので、
私たちはとりあえず4時になってタシケント行きの列車が来るのを確認し、
奇跡的に男が列車の時刻になったら起きてきて
チケットを売ってくれる可能性を信じて待つことにした。

もうこうなったら、一刻も早くタシケントに戻りたい。
というか、横になって眠りたい。すさまじく眠いのだ。

3時45分ごろ、相方がチケットカウンターの周辺をウロウロ巡回し始めたけれども
例の係員が出てくる様子はない。

でも別の係員が、タシケントへ行くのか?と聞いてきたので
おそらくタシケント行きの列車はくるのだろう。

しばらくすると、ホームに列車が滑り込んできた。
私たちのそばに座っていた警官が
あれがタシケント行きだよと、指差して教えてくれたので
急いで荷物を持ってホームに出てみる。

列車から出てきた係員に
タシケントまで乗りたいんだけどとジェスチャーすると
ふたりでしばらくなにやら相談したあと、
ひとり10万と言って車内に促してくれた。

よかった乗れた!しかも、寝台列車だった。

様子を見ていると、我々が支払った20万ソムはどうやら
ふたりの係員のポケットに10万ずつ入っていったようだ。
なにはともあれ助かった。

明日の朝にはタシケントだ。

ウルゲンチへは、タシケントから、飛行機で飛ぶと言う手もあるけれど
そんな元気はこの時点でもうなかった。


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【2008/08/05 21:13】 | 13か国目★ウズベキスタン(08.7/29〜8/9) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
タシケント再び
列車は朝の9時ごろタシケント駅に着いた。
2008080601.jpg
本来なら、こうして列車で夜を明かせばウルゲンチに着いていたはずなのに。
そして、ヒバの城壁都市を心行くまで観光できたのに…。

などと考えると非常にむなしくなるので
少なくとも列車の中で4時間は眠れたことを感謝しつつ
見覚えのあるタシケント駅に降り立った。

この間タシケントにいたときは安宿に泊まり、
トイレシャワーが部屋の外だったので
今回はもう少しランクアップすることにした。
そうでもしなければやってられない。
そしてまた少しばかりまたお腹の調子がよくないのであった。

中級ホテルがいくつか集まるエリアに向かい、
ガイドブックにあったB&Bに宿泊する。
ここも値上がりしていたけれども、
中央アジアはどこも何でも値上がりしていて
ガイドブックの通りであったためしがない。

チェックインしてシャワーを浴び、眠る。
目が覚めたのは夜の8時過ぎだった。


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【2008/08/06 21:17】 | 13か国目★ウズベキスタン(08.7/29〜8/9) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ウズベキスタンの分厚い札束
ウズベキスタンの貨幣はソムといい、
最も高価な紙幣は1000ソム札(約82円)だ。

だから、銀行で200ドルを両替すると
2008080701.jpg
これくらいの札束になってしまう。

一瞬、お金持ちになった気分を味わえるのだけれど
そんなに物価が安いわけではないので意外とすぐになくなってしまうのが少し悲しい。

だって、タシケントでこの1000ソム札1枚でどんなものが買えるのかといえば、
例えば、1.5リットルペットボトルのアイスティー1本、
例えば、食堂のシャシリク(肉の串焼き)1本
例えば、インターネット約1時間半
といった程度である。

だから宿代などまとまった額を払う場合には
札束がアッという間になくなってしまう。

だからという訳ではもちろんないだろうが宿は結構ドル表記のところが多く、
ブハラやサマルカンドなど観光地の宿では
宿で儲けているレートが悪いためドル払いした方が有利であった。


この間列車のチケットを買いに行ったときなんかは、
なぜか現地のみなさんは小額紙幣である200ソム札の
分厚い札束を持って並んでいて、
それをドスンとカウンターに出してチケットを購入していた。
なんとなく不思議な光景。

さしあたり、1万ソム札を作ればもっと便利になると思うのだけれども。



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【2008/08/07 21:18】 | 13か国目★ウズベキスタン(08.7/29〜8/9) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ロシア語のオリンピック中継を見る
北京のあの鳥の巣スタジアムも、いつの間にか完成していたようで、
今日の現地時間20時、ウズベク時間の17時から開会式が行われた。

それにしても、テレビでオリンピック直前情報の中継を見ると
だいたいレポーターが鳥の巣スタジアムをバックに立っているのだけれど
その上空はひどいスモッグで真っ白である。

そのたびに北京の空気を思い出して
モニター越しなのに喉がイガイガするような錯覚を覚える。
思い出し喉痛?なんて。

そして開会式、私たちはホテルの部屋の小さなテレビで観覧した。
2008080801.jpg
ナレーションはロシア語で、スピーチなどもロシア語の吹き替えなのでまったく分からない。

でも町をあげてのかなり大掛かりな花火リレーや
趣向を凝らした演出は映像と音楽だけで楽しめるし、素晴らしかったと思う。

きっと世界に向けて中国イメージの向上とアピールのために必死に取り組んだのだろうな。
それは至極もっともなことで、これほど良い機会はないだろう。
子供や少数民族を前面に押し出したり、少しこれ見よがしな雰囲気はあったものの
全体的にテーマが分かりやすくて良くまとまった演出だなぁと思った。

一方、私はこの演出を見ながら、日本というのはその伝統的なところにおいて
その基盤の多くは中国から伝わったものなんだよなぁと改めて感じた。
そして、比較的新しい日本の伝統文化から日本人の多くは目をそらしてしまっているのだろう。
私もそのうちのひとりだ。そしてそれは、とてももったいないことだよなぁ。


もしも東京でオリンピックをやる場合にはどんな演出をするのかな。

私は石原都知事の東京オリンピック誘致論には
現実味がなさそうだと否定的だったのだけど
北京の熱狂を見て、東京でやったらきっとおもしろい祭になるだろうな、と純粋に思った。


とにかく、いろいろあるけれども北京オリンピックは応援している。
オリンピックを機に、きっと中国は変わるだろうと思っているからだ。

かつての東京だって、ソウルだって、当時まだ発展途上であったアジア諸国の一首都として
世界の注目が集まるオリンピックは大きな転機であったに違いない。

小さなことだけども、オリンピック直前の北京に訪れたときには、
毎月11日を「整列の日」として
皆さん並びましょうデモンストレーションを行っているとのことであった。

きっとオリンピックが終わった後も、北京では並ばない中国人がどんどん減っていくだろう。
香港に並ばない中国人が少ないように…。
そして数年したら、中国では皆、きちんと列を作るようになるのだろう。
道路につばを吐く中国人が見られなくなる日もくるのかもしれない。

中国の人たちは皆、声が大きいし、態度も大きい。
一見、冷たそうな印象なんだけど、困っている人にはやさしいし、子供も大切にする。
私たちも率直で暖かい中国の人たちに何度も助けられた。

人口13億人を抱える中国、
世界人口の2割もの人が中国で暮しているのだ。
マンパワーではこの国に勝るところはない。

オリンピックを機に世界の目に触れ、
裕福層ではない一般庶民の人たちにこそ
様々な国に住む人たちのことを知ったり
中国が他の国からどのように思われているのかを知ったり
それを素直に受け止められような環境があるとといいなと思う。


加油中国。もちろん日本も。



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【2008/08/08 21:20】 | 13か国目★ウズベキスタン(08.7/29〜8/9) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ウズベキスタンの外国人滞在登録
中央アジアの国を旅行していると、
少し前までソ連だったのだよなぁと実感できることがいくつかある。

もちろん、共通語がロシア語というのもそうだし、
ロシア系の顔立ちをした人も多い。
警察や駅員の制服は、なんとなくロシアっぽい気もするし。

テレビをつければ、ロシアの番組をやっていて、
食堂のメニューにも、ボルシチとかピロシキとか
明らかにロシアから来た食べ物も多い。

だけど旅行者にとって最も身近なものといえば
外国人の滞在登録レギストラーツィアかも。

この二つは旧ソ連時代のシステムの残骸らしいのだけど
キルギスとカザフスタンではほとんど形骸化していた。

キルギスでは、少し前まで宿泊するエリアにある
オービルという機関で申請しなくてはならなかったようなのだけど、
私たちが訪れたときにはすでに2ヶ月以内の滞在なら
(日本人のビザ免除期間は2ヶ月)滞在登録は必要なくなっていた。

カザフスタンでは、入国時に入国カードに押されたスタンプが
滞在登録の代わりということで、オービルに行く必要はなかった。

ウズベキスタンは最もきちんとこの滞在登録が残っているところで、
宿泊する宿ごとにそれを行う必要があった。
といっても、ちゃんとした宿に泊まればチェックインの時にやってもらえるので
スタンプを押された小さな紙をもらうだけといった簡単なもの。
でもこの紙がないと、強制出国させられたり出国時に問題になったりするらしい。
2008080901.jpg
ウズベキスタンで貯まったレギストラーツィアの紙


あと、どこに行ってもトイレのペーパーが
硬くザラザラしたグレーの再生紙なので、あまりおしりにやさしくない。
スーパーなんかに行けば見慣れた白いふわふわのペーペーも売っているんだけど。

モンゴルでも同じような再生紙ペーパーがあって、そういえばそれはロシア製だった。
これもロシアつながりなのかなぁ。

トイレといえば、中央アジアの移動で町をはずれたりすると
いわゆるニーハオトイレが結構多かったんだけど
そんなに抵抗なく入れたのはこの辺りが乾燥していることと関係あるようなないような…。



明日はいよいよインドに行くのかと思うと
どうしてもトイレとお腹のことが気になってしょうがないのだった。


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【2008/08/09 22:44】 | 13か国目★ウズベキスタン(08.7/29〜8/9) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
タシケントからデリーへ
昼に宿をチェックアウトし、バスでタシケント空港へと向かう。
バスはなかなかこなかったけど、
乗ってしまえば結構近くてあっという間に着いた。

電光掲示板を見てみると国際線の出発便は2時間に1本ぐらいしかないようだ。
ロビーで待っている客の姿もすくない。

3時間前にチェックインが始まったので一番乗りぐらいの勢いで
カウンターにおもむいた。

ここはまだウズベキスタン。
出国するまで油断はできない。

なんていう気構えはまたしても徒労に終わり、
関税チェックも出国審査もゆるーりゆるーりと
何事もなくスルー。

出発までの暇な時間を適当につぶし、
飛行機はほぼ予定時刻どおりに出発した。
2008081001.jpg
私たちは早めにチェックインしたからか、
エコノミーの一番先頭座席だったので快適だった。
しかも機内食の夕食も出て、これはカレーであった。
インドへ向かう気分が盛り上がる。

というか、中央アジアの食事に飽きてきていた私たちには
このカレーライスがめちゃめちゃおいしく感じたのだった。
数日前から、早くインドに行きたくてしょうがなかった。
ヒバに行けなかったせいでタシケントで足止めを食ったというのも大きいけれど。

飛行機は3時間ぐらいでデリーに到着。
空港は思ったより立派で、WIFIも飛んでいるし都会な印象を受けた。

両替をして外に出ると、むんわりじんめりとした空気がまとわりつく。
気温は30度ないんじゃないかと思うぐらいなのだけど
湿気のせいでひどく汗がでる。

相方が、以前来たときは外に出るなりすごい人だかりに囲まれたのになぁ
と、ちょっと残念そうにつぶやいた。
確かに、まだ誰にも声を掛けられていない。

ウズベキスタンからの便なので、
日本人相手に商売する人もノーマークなのかもしれない。


空港からは、タクシーやリキシャの悪い評判を聞いていたので
中心地までバスで行くことにした。
だけどなかなか来なくて、40分以上は待ったかな。

バスに乗りながら、窓から入ってくる風や虫を感じながら
湿気のある熱帯夜は気持ちいいなぁなんて
背中にびっしょり汗をかきながらのんきに思っていた。

昨日までカラッと乾燥した国にいて、
部屋の中に洗濯物を干しても数時間で乾くのは魅力だったんだけど
デリーで感じる湿気がなんとなくく日本の夏の空気を思い出させ
気持ち的にしっくりきたのかもしれない。
東南アジアに行ったときのワクワク感もそれに近い。


さて、車掌にニューデリー駅で降りたいと言っておいたらば
ここだよと降ろされ、ついでに駅と思われる方向を指してくれた。

周囲が暗いので自分たちがどこにいるのかすぐには分からない。

だから、とりあえず車掌が指差した方に歩いていったのだけど、
リキシャの運転手や通行人風のおやじに
パバールガンジはそっちじゃないよ、こっちだよ
などと言われたら、それが本当なのかウソなのかなんて正直分からない。

結果的には
善人面をしてウソをついていたおやじのおかげで
えらい遠回りをさせられてしまった。

彼はどうしてウソをついたか?
それは自分のリキシャに乗せたかったからだ。

私たちの先回りをして、何度も
まだ遠いからリキシャに乗れと言って来たのだから間違いない。

後から思うと、バスを降りたのははコンノートプレイスの端で、
そのまま車掌が指した方向に歩いていけば
安宿街である駅前のパハールガンジまで歩いて数分のところだった。

遠回りさせられたと気がついたのは
宿にチェックインして地図をじっくり見てからのことだった。

でもパハールガンジにはたどり着いたし、
最後までリキシャに乗ってやらなかったことでこちらの勝ちとしようではないか。


パハールガンジらしきところに着くと
夜道に落ちている大量のベチャベチャウンコや
道をはばむ牛たちにビクビクしながら
ズボンのスソを持ち上げながら慎重に歩く。

夜でも宿は結構やっていて、
何軒かを見てからエアコン付きの部屋にチェックイン。
でもインドはファンが着いているのでエアコンなしでも大丈夫そうだ。

とりあえず、ひどく疲れた。


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【2008/08/10 22:46】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ここがインドか。
日本にいるときには、
インドというのは他の国と比べて特別な感じがするものだと思っていた。
うまく言えないけど、インドに行った人の話とか
メディアとか、目や耳に入ってくるのは、
どれもある意味、神聖視されたインドである。

だけど、旅行者の間ですらかつてのインドを懐かしむ声もあるぐらいなのだから
日に日に変化している発展途上の国というのは間違いないのだろう。

これまでのところ、私の気持ちはというと
いろいろと新鮮に感じることももちろん多いけれども、
事前の期待度と比べると結構冷めてみている自分がいたりする。
でもそれは、外国人の多いエリアに泊まり、
慣れるまではお腹を壊すのが怖いので、
外国人向けの食堂でご飯を食べていると言うのも理由のひとつかもしれない。

まだデリーに着いただけ。ここは首都で都会なのだ
インドを知るのはきっとこれからだろう。

2008081101.jpg
デリーはさすがに人が多い。そしてほとんどが男性に見える。
女性はサリーを着ている人も多いから色がカラフルで目立つけど
数が圧倒的に少ない気がする。

外国で出会うインド人というのは、だいたい流暢な英語を話す。
だから、インドの人は英語をもっと日常的に使っているのかと思ったら、
メインは当然ヒンディー語で、英語は本当に補助的なものだった。
バスの表示や道路など目に付くものはやはりヒンディー語で
英語を話せない人だっているし、テレビから流れてくるのもヒンディー語だ。


それからカーストの成り立ちなどを改めて知ってから
道ゆく人や働く人や、路上で寝泊りしている人などを観察してみると
その顔立ちや肌の色がかなり異なるなることに気がつく。
カーストが民族の差別であったことを、廃止された今でも実感できてしまう。


インドの人口は中国に次いで約11億人だけど
出生率が高いのでそのうち中国を越すかもしれないという。

というか、中国人とインド人を合わせると、
世界の人口の40パーセントだ。それってすごいな。


インドで初めての食事は、マサラドゥサ。

2008081104.jpg
クレープの中にポテトが入っておりカレーソースにつけて食べる。
素朴でおいしかった。

2008081102.jpg
リキシャに15人ぐらいぎっしり子供が乗っていたのを見かけた。
スクールバスみたいなものなのかな。

2008081103.jpg
昨日のエアコン付きの部屋は高かったので、宿を変えた。
エアコンなしの部屋には、ファンが3つ着いていた。
それぐらいしないと暑いということか…。

2008081105.jpg
パハールガンジの夜。


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【2008/08/11 22:50】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
オールドデリー
ニューデリーから地下鉄に乗って
オールドデリーまで行く。

地下鉄に乗るときには飛行場の荷物検査のような厳重チェックがあった。
女性と男性でゲートが別れているが
男性用が長蛇の列なのにくらべ、女性用はいつもがらがら。

オールドデリーはかつてムガル帝国の城都があった場所だそうだ。
その城に行ってみた。

その名も赤い砦という意味のラールキラー。
外壁が確かに赤っぽくてきれいだ。
2008081202.jpg
でもクローズしていた。
おそらく8月15日が独立記念日なので、
その日はここで首相も参加する式典があるらしい。
そのための準備かもしれない。残念。

近くにあるジャマーマスジットに行ってみる。
2008081205.jpg
インドでは少数派のイスラム教寺院だけど、
ラールキラーと同じような赤いレンガが使われていて
なんとも統一感がある。

ミナレットに登ってみた。
2008081204.jpg
町を見下ろせ気持ちいい。
2008081206.jpg
入れなかったラールキラーの城壁がみえる。

2008081201.jpg
オールドデリーのチャイ屋。
インドのチャイは、ミルク入り紅茶にショウガを加えたものが多いようだ。
鍋で煮ているから大丈夫かなと思って結構飲んでいる。おいしい。

もっとこう、インドでは道を歩くとカレーの匂いがしたりするのかなと思っていたけれど
そうでもないようだ。屋台もそんなに頻繁にあるわけでもない。
デリーだからかな。

汚物の匂いは結構する。
簡易的な公衆トイレにはいつも男性が順番待ちをしている。
ここにも女性はいない。
男性は道端でもしゃがんだり立ったりして平気でおしっこしているし。

汚い話でごめんなさい。ついでにもう一個、
オールドデリーに行ったら、
うんちを足まで垂れ流しながら早足で歩いている男の人がいた。
がまんできなかったのかしら。

もしかして、カレーがついているのかなとも思ったけど
彼が通り過ぎた瞬間くさかったので、あれはうんちだろうな。


いま雨季なので、今日は涼しかった。


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【2008/08/12 22:55】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
病院で点滴そして…
早朝、相方がトイレに出たり入ったりする音で目が覚めた。
どうやら下痢になってしまったらしい。

しばらくすると吐き気まで襲ってきたようで、
上も下ものトイレ大往復になってしまった。

少し体が熱いので熱を測ってみると微熱がある。
ひどく苦しそうだ。
しかもポカリをといたような下痢が出てるという。

ガイドブックで下痢の症状例を見ていたら、
白っぽい水下痢が出たらコレラかもしれないとあるので怖くなり
夜が明け7時になったら病院に行くことに決めた。

日本との時差は3時間半なので、
こちらが早朝でも日本はすでにビジネスアワーに入っている。

先にクレジットカードに付帯している保険会社に電話し
どの病院にいけば保険が適応されるかなどを聞くと、
どこの病院でも、レシートをもらえば後から請求できるとのこと。
初診から180日間にかかる交通費や処方箋代も請求できると教えてくれた。

しかも、あらかじめファックスでパスポートのコピーを
保険会社に送ることができれば、先回りして病院に連絡してくれ
キャッシュレスで受信できるということだった。

だけど今はまだ早朝だしファックスできるところもなさそうだ。
どこの病院でもいいということで安心し、
ガイドブックで紹介されている大き目なところに行ってみることにした。

それから宿の人に事情を話して、
この病院に行きたいからタクシーを呼んで欲しいと頼むと
タクシーじゃなくてオートリキシャならすぐ電話できるけど
いま呼んじゃっていいの?
というのでお願いした。

熱がかなり上がってフラフラになった相方をつれて
レセプションに戻ると、彼はまだオートリキシャを呼んではいなかった。
医者なら呼べるけどここに呼んだら?と言うのだが
医者に行くことをすでに決めていたので断った。

すると、このすぐそばにとてもいい病院があるよ、15分ぐらいで近いよ、
と熱心に進めてきたので、私は彼も辛そうだし近い方がよいかなと思い
勝手にそっちに行くことにしてしまった。
ここでウダウダ話をするより、早く病院に連れていきたいという気持ちもあった。

宿のスタッフが人力のリキシャを捕まえてくれ
それで病院に向かう。

道が悪いためリキシャの細いタイヤでは揺れが激しい。
そのたびに、相方がうめき声を上げるのが痛々しい。
早くも失敗してしまったかなと思う。

着いたところは町医者というわけではなく、
大きいめの総合病院に見えた。
なにより、見るからに苦しそうな地元の人が
あふれんばかりにそこらへんに座ったり寝たりしているのが目に付いた。

エマージェンシーで
ドクターらしき人と英語で症状を問答すると
メモ帳みたいな紙にペラリといくつかの症状と薬の名前を書いて
渡してきた。これがカルテらしい。

3つの薬はこの病院で渡せるけど、
1つはマーケットの薬局にいって買ってくる必要がある。
あなたが買ってきて、彼はそこで休ませなさい。

と言うのだけれど、ベッドはどこも満員で、休めるところがない。
相方は空いていた小さな金属製のベンチで体を横にしながら
興奮気味にいろいろ訴えてくる。

私もこのとき、ちゃんとした病院に連れて行ったほうが良かったなと
すごく彼に悪い気がしていたのだけど、
腹痛の処理には慣れているであろうインド人の先生が、
まずはこの薬を試してから、と言うので
先に処置してもらった方がいいと思い相方を置いてリキシャで薬屋に向かった。

薬局でメモを見せてお金と引き換えに何かを買って、病院に戻る。
それは注射の中身のようだった。

病院に戻ると、ああ買ってきたねという感じで
チャッとその注射を打つ。
相方の具合は病院に着いてからも悪化していたので
いろいろお願いすると中のベッドを開けてくれ、
そこで点滴の準備をはじめた。

2種類の液体を5パックほど体に投入されたころには
彼もいくぶん眠ることができ、
その間に私は熱さましの薬と、ORS呼ばれる粉をもらい
ORSを水に溶いて相方に飲ませたり
様子を見に来たドクターの話をきいたりしていた。

気がつくと病院に来てから2時間以上がたっており、
朝の苦しそうな様子とはうって変わってスッキリとした様相の相方が
もう帰れるよとドクターに言われてベッドから降りようとすると、
どこにもサンダルがない!

めぼしいところをさがしたけれども見つからず。
隣のベッドにいたおじさんにサンダルがなくなっちゃったと言うと
「This is INDIA」
と肩をすくめながら答えた。
そうか。ここはインドだ。

最後にドクターと問診して、薬の処方箋を書いてもらい
飲み方などを教えてもらう。
コレラじゃないのかと確認すると、
似てるけど違うと言うので信じることにした。

で、お金はいま払うのかと聞くと
なんと、お金は要らないのだと言う!
あなたが良くなればそれでいい、大丈夫、というようなことを
少し照れたような表情でドクターが言った。

それを知った瞬間、なんだかものすごく感動してしまった。
そういう施設がインドにあるということに。
どうりで、先生たちはみんな白衣も着ないし
ジーンズとかラフな格好だなぁと思っていたのだ。

そして同時に、しまった。とも思った。

私たちはお金を払える外国人だ。
私たちが来なければ、彼が寝ていたベッドで
ひとり処置してもらえたかもしれない。

ドクターは皆、とても忙しそうだったのだ。
ここに来るべきではなかったかもしれない、と
なんだかすまない気持ちががした。

誰のか知らないけれど、代わりのサンダルまでくれたのだった。

感謝しつつ宿にもどると、彼はひたすら眠った。

私は処方箋に書かれた薬を買ってきたり、
2008081301.jpg
ネットで情報を調べたりした。

それによると、どうやら今回病院でももらった
ORS経口補水塩 (Oral Rehydration Salt)を
摂取するのが下痢には一番有効なようだ。

日本で風邪を引くとスポーツドリンクを飲んだりするけれど
そんなような感じで体に必要な水分と電解質を即効で補給してくれるらしい。

相方はあまりおいしくないと言って飲みたがらなかったのだけど、
ネットで確認してきたことを私から聞くと、がんばって飲んでいた。
2008081303.jpg
粉末状のORS。レモン味とオレンジ味。

このORSは、私もその後お世話になることに…。


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【2008/08/13 18:27】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
インドの強力下痢止めで相方復活?
実は、昨日の夜行でリシュケシュへ行く予定で
バスチケットを買っていたのだけれど、
相方が病院行きになってしまったので
宿を延泊し、とりあえずチケットも1日遅らせた。

朝になってみると、熱も下がり
下痢は収まったという。

病院で処方箋を書いてもらった下痢止めを購入し
飲んでからというもの、下痢はおろか便意自体がないらしい。
もちろん、何も食べていないというのもあるだろうけれども。

もう1泊しようかと思ったのだけど、
大丈夫、行ける、というので
今日の夜行バスで予定通りリシュケシュへ向かうことにした。

リシュケシュで、1週間ぐらいヨガをしながら
ベジタリアンの食事をして静かに過ごすことは
インドに来た目的の最たるものであり
また今回の旅行自体のひとつのハイライトでもあった。

デリーであと1日休むより、リシュケシュに行ってゆっくりしたい。
その気持ちは私も同じだった。


その前にデリーでやりのこしたこと…
クトゥブ・ミナールを見に行った。

ニューデリー駅からオートリキシャで30~40分ぐらいのところにそれはある。
世界で一番高いといわれるミナレットだ。
2008081401.jpg
確かに、ミナレットにしては不必要なくらいに高い。
ここのモスクがインドで一番古いモスクなのだそうだ。
2008081404.jpg
そばにある石造りの建物は、
よく見ると柱のデザインがひとつひとつ異なっていた。
2008081403.jpg
近くにあった廟のレリーフが繊細だった。

今日は雨が降ったりやんだり。

ざっと見学して、
またマックで一休みしてから宿の周辺に戻る。

指定されたバスの集合時間は20時だったけれども、
21時になって、ようやく迎えがきた。

外は雨だ。
パハールガンジの出口まで歩いていき、
どうやらそこでバスを待つようだ。

激しい雨が降っている。クラクションがうるさい。
我々をここまで案内してきた男の人は、
雨にぬれながら目的のバスが通るのを待っている。
怒るのも気の毒な感じがする。

私たちは軒先で雨宿りしながら
待つこと2時間。

ようやくバスがきた。
雨のせいなのか、明日が独立記念日だからかわからないけれど
ひどい渋滞のせいで遅れているらしい。

ともあれ、バスには乗れた。
疲れたけれども、それだけが救いである。

相方は、またお腹がいたくなってきたようだ。
バスの中は少し寒い。
でも早朝にはリシュケシュに着くはず。
それまでの辛抱だ、がんばろう。
私はすぐに眠りについた。


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【2008/08/14 19:30】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
目覚めるとリシュケシュ!ではなく…
昨夜23時前に乗り込んだリシュケシュ行きのバスは
雨のためか、独立記念日前日のためなのか
ノロノロ運転を続け、私はいつの間にかウトウトしていた。

フと気がつくと、バスは動いていなかった。
まだ外は暗く、真夜中だ。

トイレ休憩などではなく
どうやら、ガス切れらしい。

バスは静かに止まっている。

ずっと起きていた相方によると、
どうやら2回ほど、どこかからガソリンが調達されて、
エンジンをかけてみたけれどもかからないなぁ
といった雰囲気のようだ。

しばらくして、乗客が皆かばんをもって外に出始めた
時間は朝の5時ごろ。

このバスをあきらめ、どこかに行くいくようである。
こんななにもない場所からいったいどこへ?
第一、ここはどこなんだ?

運転手やスタッフが、リキシャやタクシーを捕まえようとしている。
どうやら、乗客たちはバス会社の負担で
リキシャによりどこかに搬送されることになるらしい。

うなだれるスタッフ。

捕まえたリキシャになにやら交渉して、
乗客たちはこの場から立ち去っていく。

そして私達も呼ばれた。

リキシャでリシュケシュに行くのか?と聞くと
いやいや、デリーに戻るんだよ、と言う。

どうやらここはまだ、デリーから15キロぐらいしか離れていない場所らしい。

最悪だ。
でもまぁ、しょうがないのでリキシャに乗りこむ。

リキシャの中で、乗り合わせた地元のおじさんに
チケットは払い戻しできるから大丈夫だよ、と励まされた。

全額は無理かもしれないけど、
確かに払い戻しを要求してみる価値はあるかもしれない。

ということで、40分ぐらいで宿に戻る。
近すぎる!!これだけしか走っていなかったのかと愕然とする。

フロントでは、さほど意外そうではなさそうに、
宿に併設された旅行会社のスタッフが来るまで
ここで待ってていいよ、たぶん払い戻しできるよ、と迎え入れてくれた。
7時ごろ。

旅行会社のスタッフが来たのが9時。
それまで、フロントのソファーでウトウトする。

全額は無理だったけれども
それなりに言い合いをして、それなりに戻ってきたのでまぁ良しとする。
もう面倒くさい。

ふぅ。
なんだか、デリーに呼び戻された気分だ。
でも、もうデリーにはいたくない。
相方のお腹の調子が心配ではあるけれど、
早くデリーを離れてのんびりしたいと彼も言う。

一昨日は相方の具合が悪くなりチケットをキャンセルし、昨日はバストラブル。
なんだかリシュケシュへは、もう行かない方がいいような気がした。
私たちは、リシュケシュに呼ばれていないのかもしれない。

そうして、「リシュケシュでヨガ修行!」という旅のハイライトを
こんなにあっさり捨てていいのだろうかとふと思い返してしまうほど
私たちは未練なくリシュケシュ行きを諦めた。


とりあえず、今日の目的地をアーグラーに変更する。
デリーから日帰りで行ったり出来るアーグラーなら、
きっと簡単に行けるだろう。
できればもう、旅行会社のお世話にはなりたくはない。

そう思いさっそく、ニューデリー駅に向かった。
だけど、2階にある外国人用窓口はチケット予約しかできず当日券が買えなかった。

またお腹が痛くなってきた相方を残して、ひとり
インド人であふれかえったニューデリー駅の当日券窓口から
該当する窓口を探し、アーグラーまでのチケットを買おうとしたけれど
結局席がなくて購入できず。
同じぐらい人が多くても、中国の列車駅の方が
分かりやすくてよっぽど楽だ、と懐かしく思い返したりする。

いろいろトラブルが重なって疲労困憊の上、チケットも買えない。
気がつけば朝から何も食べていない。
ひとまず休もうと、リキシャーでマックに乗り付ける。
朝10時。

マックでセットを頼んだものの、ちっとも食欲がわかない。
それどころか、なんだか熱っぽくだるくなってきたようだ。
なんだかつらい。お腹もちょっといたい。


このブログには書かなかったけれど、
私は1週間前に、タシケントで38度の熱が出てしまい
2日間ホテルにこもりひどい水下痢に苦しめられていた。
インドに入る直前に直ったのだけど、
その悪夢が再来かと思うと恐ろしいしうんざりする。

一昨日、病院で点滴してお腹の調子が万全ではない相方と
高熱が出そうな予感がただよう私。最悪だ。

これはもう、デリーで1泊するのが無難なんだけど
ふたりともこの時には、これ以上もうデリーにいたくないと本気で思っていた。

だから、力をふりしぼって、デリーの東にある
アーグラー行きのバスが発着するというターミナルへと向かった。
バスは30分おきに来ているというし、乗ってしまえば5時間で着く。
お昼までにバスに乗って、夕方アーグラーに着いたら
ちょっといいホテルに直行して2日ぐらいゆっくり静養しよう。
そうもくろんでいた。

しかし、そう甘くはなかった。

ようやくターミナルに着いたものの、バスがどこから出るのかさっぱりわからない。
なんとかそれらしきところにたどり着いたものの、
登場したアーグラー行きのバスは
こんなんであった。

す、すごすぎる!
みんな我先にとバスに群がり、席を取ろうと必死に中にはいる。
窓から滑り込んで中に入っている人もいる。
屋根に乗っている人もいるよ。

こ、これは今の私にはとても無理…。

でも不思議と、この光景を見たら
なぜか、すこしばかり体がラクになった気がした。
元気をもらったというか、勇気付けられたというか…。

こうなったら仕方ない。
あきらめて、デリーでもう1泊することにし
パハールガンジに戻ったのだった。

適当な宿にチェックインし、再度ニューデリー駅に赴く。
明日のアーグラー行きのチケットを買うためだ。

でも、あと1枚というところでソールドアウト。
無念である。

高くても、ツーリスト用のバスをどこかの旅行会社で買うしかない。
あの満員御礼バスには、きっと明日の体調では乗れないだろう。

駅で、私はひどい寒気に襲われたので
たまらず宿に戻り、相方にチケットの購入を託した。

昨日は雨にも濡れたまま隙間風の吹くバスで眠った。
今日はし誇りっぽいところを歩き回ったし体は汗でベタベタだ。
シャワーを浴びたいけれどもそれどころではなく、ベッドに横になる。

しばらくして、相方が明朝発のバスチケットをゲットして戻ってきた。
体温計を出してもらって熱を測ると、40度を超えている。
どうりでつらいわけだ。

バファリンと、この間、相方用に買ったORSを水に溶かしたものを飲んで
とにかく眠ることにする。午後3時。

明日朝の出発時刻まで15時間ほどある。
それまでに熱が下がったらアーグラーに行こう。
頼むよ本当に…。


独立記念日の今日、窓の外では皆が屋上で凧揚げをしていた。


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【2008/08/15 19:05】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
外国人が激怒するアーグラーへのツーリストバス
昨晩は、目が覚めるごとにびっしょりと寝汗をかいた服を着替え
バファリンとORSを摂取しひたすら眠った。

朝6時にセットしていた目覚ましの音で目が覚めると
だいぶ気分がスッキリしている。
熱を測ってみると、36度台になっていた。

このORSはすごいと思う。
これがなかったら、40度の熱がこんなにすぐには下がらなかったような気もする。

よし、アーグラーに行こう。
私たちは用意して出発した。

バスは相方がチケットを買ったニューデリー駅前の旅行会社に到着するらしい。
このあたりの旅行会社は、ガイドブックに
「トラブルが多いので要注意」と書いてあったのだけど、
それを知りつつ、早くアーグラーに行きたい一心でチケットを買ってしまった。
今思えば、やはりそれが失敗だった。

私たちは6時半にバスに乗ったものの、
2時間ほど客を乗せるためにニューデリー周辺から動かない。

しかも、私たちのチケットはノーエアコンだったらしく、そのため
このバスはエアコンだから席を替われと言う。嫌な雰囲気だ。

エアコンなんていらないのに!と思いながら最前席に移動させられる。

すると、口論をしている白人女性がいた。
彼女もどこかの旅行会社を通してチケットを買ったものの
エアコンなしのチケットなので席がないと言われているらしかった。

お金を返せと言っているのに、バスのスタッフは返す様子がない。
結局、彼女は席を確保したようだった。

しばらくして、座席は満席に近くなってきた。
すると、またさっきの女の子が何かもめている。
彼女の辛抱強い抗議の甲斐があって
ようやくバスは止まり、いくらかお金を返してもらいバスを降りていった。

どうしたんだろう、と思う。
どうせ旅行会社に戻っても彼らが払い戻しするとは思えなかったし
日にちを変えてもきっと同じバスに乗ることになるのだろう。
列車で行こうとしても今日はもうアーグラー行きは満席のはずだ。
明日の列車もおそらくもう満席かもしれない。
乗っていれば、とりあえずはアーグラーに着くのに。
と、そのときは思っていた。

次にバスが止まったとき、インド人のグループが乗り込んできた。
すると、バスのスタッフは、私たちに
ノーエアコンの席はないから前に移動しろという。

前と言うのは、運転席の脇の空きスペースのことだ。
もし席に座りたかったら、エアコン分の差額を払えと言う。
その差額というのが、結構高い。

さっきの女の子はこれでもめていたのか、と納得する。
本当に、あこぎな商売である。

普段だったらさっきの子みたいに抗議してバスを降りるか
意地でも差額を払いたくないから移動するかのどちらかだと思うけれども、
今日は体調が悪い。
ムカつくけれどもお金を払った。

もういい。どうでもいいから、無事アーグラーに着いてさえくれればいい。

そのスタッフは、今度は別の外国人に同じようなことを言いにいった。

どうやらあのあたりの旅行会社は本当に無責任な会社が多いようだ。
私たちのチケットはノーエアコンだといっても、
バス料金としてそれなりの額を払っている。

旅行会社が中抜きしているのでバス会社にとっては足りないのか
それとも悪質な集団詐欺なのかわからないけどとにかく腹が立つ。

私たちを含めて外国人が席をどかなかったので
あとから来たインド人が運転席のそばに陣取ることになった。
もしかしたら、案外こんなのはインドでは普通のシステムなのかもしれない。
もうよくわからない。

そんなこんなで、とりあえずバスは走り出した。
アーグラーまで200キロほど。たいした距離じゃない。
最初、何時に着くのかきいたら12時と言っていた。

ちょうど12時ごろ、バスが止まった。

着いたか!と思いきや、
ここは寺にお祈りするだけという。
なんだかおかしい。

さっき、ガイドっぽい老人がバスに乗り込んできて
ヒンズー語で何か熱弁を振るっていたし。

そんな悪い予感は的中し、このバスはどうやらデリーからアーグラーまでの
一日ツアーバスだったようだ。
そんなことはもちろん知らない。
私たちは、ただアーグラーまでのバスチケットを買ったつもりだったのだ。

どうりで、軽装なインド人乗客が多かったわけだ。
彼らはいったいいくらでこのバスにのっているのだろうか。気になる。

団体で名の知れぬヒンドゥー寺院を見学し、バスに戻る。
2008081601.jpg
次がアーグラーのようだ。早く行ってほしいのいに。

アーグラーフォートの前でバスを降りる。
2008081805.jpg
このまま乗っていれば、バスは夜にはデリーに戻るのだ。
その分の料金を、私たちは払ってしまっていることになる。
ここまでくると、なんだか笑えてくる。

でもまぁ、とにかく来れたのだからよしとしよう。

オートリキシャでタージマハルの近くに移動し
宿にチェックインする。
2008081602.jpg
この宿は、屋上のレストランからタージマハルが見渡せるのがよい。
夜まで部屋で休んで、夕食はそこで食べた。

そういえば今日も、バスの休憩所でサンドイッチを少しお腹に入れただけで
ろくな食事をしていなかった。

意外にも、このレストランで食べたチャーハンとベジタブルカレーがおいしくて
なんだかうれしい気持ちになる。
相方も私も、久しぶりに食欲が戻ってきた。

明日はゆっくり休んで、体調を万全にしたい。


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【2008/08/16 12:53】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
邪気払いになるか…
両替をする必要があったので、ランチがてらに宿の周辺を散歩していた。
でも両替所が見当たらなかったので、
「チェンジマニー?」と声を掛けてきたイスラムのおじさんについて行くことに。

彼が入っていったのは両替屋ではなく宝石店であった。
でもまぁ、両替のレートを聞くと悪くなかったので、お願いしてみた。

ちょうど昨日からイスラムのお祭で、
銀行が開いていないからねーと彼は言う。
クレジットカードを何枚か出して、男の子にお金を降ろすよう指示していた。

どうやら彼は日本人好きのようで、
日本人の友達いっぱいいるよー
と、日本語で書かれたノートやら
日本のボールペンやら、ライトやら、本やら、シャツやら
とにかくいろいろ出してきてアピールしてきた。

だからといって、宝石を買えと執拗に営業するわけでもなく、
怪しい日本語でしつこく話しかけてくるわけでもなく、
私たちは現金を持って帰ってくる男の子を待って
店の中でくつろいでいた。

男の子が戻ってきたけど、現金は引き出せなかったらしい。
すると、彼は何本か電話をかけていろいろまた指示を出した。

そんな大変なら、他でやるからいいよ…
と言うと、大丈夫、ベストを尽くすから、みたいなことを言う。

そして手持ち無沙汰な時間を埋めるように
チャイを飲むか?と聞いてきた。

外の子供にチャイを買いに行かせると
その子はビニール袋に入った3人分の暖かいチャイと、
ビニールの小さなコップを持って帰ってきた。

チャイをご馳走になる。
雨が降ってきた。
のんびりした時間がすぎる。

とうとう現金を持ってさっきの男の子が戻ってきた。
100ドルを無事ルピーに交換してもらう。
ひとまずよかった。

でも雨はひどくなってきた。
雨宿りのつもりで、少し石を見せてもらうことに。

彼が勧めていたのは、
アーグラー周辺で取れるという黒い石で、
光に当てると十字に光が入るものだった。

確かにきれいだったけれども、
私も相方も宝石に興味がないのでただ見ていただけだった。

そのはずだったんだけど、なんだかパールの指輪を見ていたら
だんだん欲しくなってきて、いつのまにか買うか買わないか迷っていた。

そうすると、彼も商売人で、瞳がキランと輝きだす。
交渉が始まってしまった。
そして結局、なぜかその指輪を買ってしまった!自分でも不思議だ。
でも気に入っているのだ。
「タージマハルの白だしいいんじゃない」と相方も言っている。

そうだ、タージマハルのように清楚な感じがする指輪だったのだ。
日本円にすると1200円ぐらいなので、後悔するような値段でもない。
でも、私たちが泊まっている宿の2泊分だからそんなに安いわけではない。

ちょっとインドのものを買って、お守り代わりにしたいな、と思っていたのでちょうどいい。
これまでの悪い流れが切れるといいんだけどな。
2008081701.jpg
早速つけて帰ろうとしたら、
つけて行っちゃダメだよ!お金持ちだと思われるから!
と制止された。
そういうおじさんの手には指輪が2個光っているのだけれども。


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【2008/08/17 13:08】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
タージマハル素晴らしい!
アーグラーに来て3日目にして、ようやくタージマハル見学に行った。
2008081801.jpg
宿から遠目にいつも見えてはいたのだけれど、
やはり近くで見てみたい。

入場料は、インド人20ルピー(60円)、外国人750ルピー(2250円)。
外国人料金があまりに高くて申し訳ないからなのか、
ペットボトルの水やらシューズカバーやらがついて来た。

でもここは、高くても来てよかった。
可憐で美しく、なのにどこか物悲しい雰囲気がする建物だった。
2008081803.jpg
ムガル帝国の王が、先立った妻のために22年の歳月をかけて作った大理石のお墓なのだけど、
彼はその後、王位争いのため子供によってアーグラー城に監禁され生涯を閉じたらしい。
だから、タージマハルの中には中央に妃の墓があり、
その横に、おまけのようにあるのが王の墓なんだそうだ。
2008081802.jpg
川の向こうに、そのアーグラー城が見える。

ムガル帝国は、北インドに進出したイスラム勢力なのだけど、
これが中央アジアのティムール朝の末裔によって起こったものだとは知らなかった。

私たちはウズベキスタンから間をすっ飛ばしてインドまで南下してきてしまったけれど
ティムールの名前が出てきたことで、つながったような気がしてなんだかうれしい。
2008081804.jpg

さて、今日は夜行でバナラシに向かう。
一昨日、アーグラーに着くなり相方が駅に行ってチケットを買ってきてくれた。
インドの列車は、前日ではチケットが買えないことが分かってきたからだ。

それでも、アーグラー駅からの直通は買えなかったので
30キロほど離れたところにあるツンドラという駅からの列車に乗ることになった。

オートリキシャーでツンドラへ向かう。
インドではじめての列車の旅だ。

1等用のウェイティングルームがあったので、そこを利用させてもらう。
2008081806.jpg
私たちのチケットはSLという3段寝台で、1等ではない。
でも、外国人は大丈夫という噂どおり、ノーチェックだった。

と思いきや、妙にフレンドリーに話しかけてきた一人の老婆がいた。
その人は、私が一人の時にだけ話しかけてきて、
話の中で私が日本人ということと、チケットを見て席種を確認した。
外国人たちに、ノートに記帳するよう言っていたので駅のスタッフかもしれない。
そして目星を付けたひとにバクシーシ(寄付)という名目でお金を請求しているようだ。

相方ではなく私をわざわざ探して、ひとりの時に請求してきた。
まぁ、10ルピーぐらいいいやと思ってあげたけど、
お金をもらいたいがための笑顔とそのための準備としての会話や、
請求するときの怖い表情や、バクシーシという名でたかってくることの不快感を覚えたことは確かだ。

列車は30分遅れぐらいで駅に到着。
ふたりとも3段ベッドの一番上だったからすぐに眠れたけれど
下段や中断は座席になるので、好きなときに眠ることができずに
落ち着かないだろうな、と思う。
2008081901.jpg

ともあれ、何事もなければ明日の朝にはバナラシだ。


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【2008/08/18 13:10】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ガンガー増水。バナラシ
朝の5時半ごろ、列車はバナラシ駅に到着した。
雨がひどく降っている。

チェックしていたゲストハウスがあったのだけれども、
駅からのオートリキシャは、宿と提携していて行きたいところに行ってくれない。

中心地は増水していて道が通れないと、
ウソか本当か分からないようなことを言って
結局、彼らの目的のゲストハウスに連れて行かれてしまった。

でもまぁ、悪くなかったのでチェックイン。
雨が降っているし、早朝なので早く部屋で休みたいのだ。

一眠りしてから、ガンガーを見に行く。

バナラシに来たのはもちろん、ガンジス川の聖地っぷりを体感したいからである。

しかし、つれてこられた宿は中心地から結構遠かった。
その分静かでよかったのだけども…。

泥やウンコでぐちゃぐちゃの足元を注意深く見ながら、
ガンガーから一本内陸側の路地を歩いていく。
牛が多いし、みやげ屋も多い。
2008081903.jpg
派手なサリー屋さん。
そしてなんだか知らないけど、やたらと日本語で声をかけられる。


ところどころにガートという沐浴場があるのだけれど
そこに出てみると、どこも小さな船着場のような感じである。

中心のガートにようやくたどりついたものの、
こちらもただの船着場にしか見えない。
2008081902.jpg
イメージしていた感じと全然ちがうなぁ!

沐浴している人も数人いたけれど、
水量があがっているため、目の前にはすぐボートが停泊していて
ゴミなんかも、ボートの間にたまっている。
陸のスペースが狭すぎて座ったりゆっくりできる雰囲気でもない。

これには以前、乾季に来たことがある相方も、びっくりしていた。
ガンガー沿いは階段がつながっていて、ずっと歩くことができたんだよ
などといわれても、目の前にある光景からは想像ができない。

どちらにしても、沐浴する人が多いという朝に来てみるしかないだろう。
朝はきっと、なにか違った光景が見られるはず…。


さらに歩いて、火葬場のあるマニカル二ガートへ向かった。

山のように詰まれた薪を、
カーンカーンと音を鳴らして割っている人。

巻き割りはきっときりがないだろう。
なぜなら、次々と死体が運ばれてくるから。

タンカに乗せられた死体は、目立つ色の布で包まれガンガーに向かう。
川に浸し、燃える薪の上へ。

パチパチという音と、燃える匂い。グレーの煙。
焼かれた灰はガンガーに流される。

まわりにいるたくさんの人は、
焼かれている、もしくはこれから焼かれるのを待つ死者の家族だろうか。

ファイヤーマンだという人に話を聞いて、
少し中を見せてもらったけど
なんだか胸がつまって逃げるようにその場を去った。



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【2008/08/19 13:17】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
長い移動の始まり
朝、5時にセットした目覚ましで起きると、
外はなんと雨が降っている!がっかり。

これでは朝日なんて見れないだろうし、
なにより宿からガートまで行くのが大変だ。
ガートに着いたとしても雨ではボートに乗れないだろう。

二度寝して、雨がやんだころにまた中心地へ向かった。
2008082001.jpg
すると、中心のあたりは道がめちゃめちゃ浸水していて川のようだ。
おかげで、行きたいところにいけない。

とにかく、まずは旅行会社を目指す。
今日の夜行列車で、ネパールに向かってしまうことにしたのだ。

なんだか今のところ、どうもインドにテンションが合わない。
何をやってもうまくいかないし、
どこに行っても同じに見える。

インドは1ヶ月で周る予定だったけれど、
もう、インドの旅は終わりにしようか…
っていうか、日本に一回帰ろうか…
なんて弱気な話も、2人の間で出たくらいである。

一方、ネパールには当初、中国からチベット経由で入る予定だった。
オリンピックのせいでチベットが外国人を受け入れなくなってしまい断念したのだけれど。

でもせかっくなので、ネパールには行ってみよう。
インドから出れば、気分も変わるかもしれない。そう思った。


バナラシからは、スノウリという国境の町までツーリストバスが出ていて、
スノウリからポカラやカトマンズまでバスで行けるというのは知っていた。
それだと朝に出発して国境で1泊した後、翌日にポカラやカトマンズに向かうことになる。

でも昨日旅行会社で聞いてみたら、
夜行列車でゴラクプールというところまで行けば、そこからバスに乗っても午前中にスノウリに着く。
そうすると、その日のうちにポカラやカトマンズに行けるということだ。

宿は2日分料金を払ってしまったけれど
雨季のバナラシに長居するのも気分が乗らなかったので
もう今日行ってしまうことにした。

チケットは無事とれた。

あとは夕方まで、このあたりで時間をつぶす必要がある。
ボートに乗ろうとするけれども
料金の折り合いがつかずに断念。

せめて夕食は、ガンガーが見えるところで食べようと、
バナラシで泊まろうと考えていたゲストハウスにいってみる。

ここは屋上にレストランがあるということだった。
2008082002.jpg
なんかすごくいい!

料理はまぁまぁだったけど、
ガンガーを見渡せるいい雰囲気だった。
2008082004.jpg
路上は狭いし人が多いし汚いからか、
みな屋上で凧揚げをしたり、クリケットの練習をしたりしている。
2008082003.jpg

世間話の中で、ネパールに行くけど戻ってきたらここに泊まるよ、
と言うと、レストランで端数をおまけしてくれた。


宿に戻って、シャワーを浴びて2時間ぐらい休憩する。

これから夜行列車とバスを乗り継ぐ長距離移動がはじまるのだ。
1泊分捨てることになったけど、深夜まで部屋が使えてよかった。

宿をチェックアウトして外でリキシャを捕まえると
池のように溜まった大きな水溜りもなんのその、
彼は駅まで猛スピードで駆け抜ける。

別にそんなに急ぐ必要ないのに。

でもえらくがんばってくれたので
交渉した金額より少し多めにあげようとは思っていたのだけれど
リキシャを降りると、自分からバクシーシを要求してきた。
そういうところがなんだか腑に落ちない。

私たちは、まったく急ぐ必要はなかったのだ。
それどころか、予定よりずいぶん早く着いてしまったので
駅での待ち時間が長くなって迷惑なぐらいなのだ。
彼は交渉で決まった額に見合う仕事をすればいいだけだったのに。
それだって、外国人値段なんだから彼にとって悪くないはずだ。

びっしょり汗をかいたリキシャの運転手を後にして、駅に入る。

列車の出発時間は23時半。
あと1時間ほどなので、ホームで待つことにする。


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【2008/08/21 13:22】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
5時間遅れの夜行列車って…
23時15分に来るはずのゴラクプール行きの列車は、
日付が変わってもやって来る様子がなかった。

なんどもプラットホームの番号を確認した。
目の前の、この2番ホームに列車は止まるはずだ。

だけど、列車の到着時刻やプラットホームの変更アナウンスが
ひっきりなしに流れているので、油断はできない。

ウロウロ掲示板を見に行ったりしていると、
夕方の19時発の予定の列車がまだ到着してなかったりする。
嫌な予感がする。

インドの列車は遅れるのが当たり前なのだと聞いているし、
待つしかないんだろうな。


雨が降ってきた。少し肌寒い。


深夜2時をすぎて、
プラットホームでは皆ゴロリと寝転んで仮眠をはじめた。

私たちもたまらず、いつもシーツやかけ布団かわりにしている布を
引っ張り出し、それぞれ体に巻きつけバックパックを枕に横になった。
2008082101.jpg
すぐ隣には、サリーをきた女性が寝ている。
その人の子供も、そして小さな赤ん坊も、床に寝ている。
隣には、知らないおじさんが布をかぶっている。

ホームで雑魚寝状態である。
これはつまり、野宿という状況ではないだろうか?

頭の中を不安がよぎる。
もしかしたら、列車は他のホームから行ってしまったのではないか。
もしかしたら、さっきここに到着した列車がそうだったんじゃないか。。。

そんなことを考えながら、
布を肩まで膜りあげて横になっていると、自然にウトウトしてきた。

と、突然、「505来るって!」
と叫ぶ相方の声で目が覚めた。

どうやら、列車が到着するらしい。
時刻は朝の4時すぎ。

実に5時間遅れで、ちゃーんと列車はやってきた。
これだけ遅れれば、夜行列車というより早朝列車である。

乗り込むやいなや、私たちはチケットに書かれた座席を素早く発見し
横になって眠りについたのだった。

2008082102.jpg
そして朝がきた。
どこかの知らない駅で
あたたかいチャイと、サモサを買って朝ごはんにする。

早朝6時の到着予定だったけど、5時間も遅れて出発したのだから
いくらなんでも遅れを取り戻すことなんて不可能だろう。

ということは、何時に到着するのか分からないし、
もちろん車内放送なんていう気の利いたものもないので
ゴラクプールでちゃんと降りられるのかが不安である。

どんどん人はいなくなり、私たちの座席も下の段が皆降りてしまったので
最上部のベッドから一番下の座席に移動してみる。
それまで窓の外はみえなかったけど、ここなら景色が見放題だ。

水田が広がり、なんとものどかな雰囲気。
少し心がやすらぐ。同じインドでも、こういうところに泊まりたいと思う
2008082103.jpg
午後1時半すぎ、ゴラクプールの駅に到着。
駅から少し歩くと、ネパールとの国境であるスノウリ行きのバスはすぐ見つかった。

ギュウギュウ詰めのバスに揺られること4時間。
スノウリに到着。

インドとネパールの国境というのは、お互いの国籍をもつ者であれば
自由に行き来ができる非常にオープンなところなのである。

外国人も、あっけないぐらいゆるゆるな雰囲気のなか
インドを出国し、そしてネパールに入国できた。
2008082104.jpg
素通りしてしまいそうなインド側のイミグレ。

ネパールのビザはその場で取れるんだけど、これも楽勝だった。
2週間ビザ25ドルなり。


さて、スノウリのネパール側へと足を踏み入れる。

人々の顔そのものは、ボーダーだしインド系が多いのかそう変わりはない。
ネパール語も、ヒンドゥー語と似ている気がするし、
あいさつはこちらでも「ナマステー」だ。

だけど、人と接してみると、インドとは少し違うな、という気もしないでもない。
なんだかしつこくない。そして英語をしゃべれるひとが減った。

疲れたので、両替してから適当な食堂へ入る。
なんでもない、普通の食堂だ。
なのにインドと比べて、圧倒的にきれいなのである!

メニューをみると、見たことのないカテゴリーの料理がある。
聞いてみると、麺料理だというのでそれにトライ。
なんとなくテンションがあがり、ビールを飲みたくなる。
そういえば、インドでは一度もビールのまなかったなぁ。

ローカルビールが飲みたかったんだけど、英語がうまく通じず、
広告が張ってあったビールにしてみたら、どこかヨーロッパのものだった。
それでもなんとなく満足。

勢いで、このまま夜行バスに乗りポカラへ行ってしまうことにする。
まだまだ移動は終わらない…。



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【2008/08/21 13:23】 | 14か国目★インド(08.8/10〜8/21) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
癒しのポカラ
昨日の夕方に、インドとの国境スノウリに到着した私たちは、
その足で7時半の夜行バスに乗りポカラへと向かった。

ポカラまでは約10時間。
一晩スノウリに泊まって、明日の朝のバスで移動してもよかったんだけど
それだと明日も1日移動日になってしまう。
だったら、勢いで行ってしまって明日はゆっくり休もうということになったのだった。


神様がペイントされた派手なバスに乗り込むと
中に外国人の姿はほとんど見えない。
乗り心地はそれほど悪くないものの、
いかんせん道が悪い。

バスは飛び跳ねながらもスピードを落とすことなく必死に進む。
何度もおしりが浮き、頭が背もたれに当たり、手すりにわき腹がぶつかる。

最初はうだるように暑かった車内も
風が入ってくればそれなりに過ごしやすい。
と思ったのはつかの間で、
夜が深くなるとだんだんその隙間風が寒く感じてきた。

窓を閉めても、気がつくと開いていて風が吹き込んでくるのだ。
どうやら振動で自動的に開いてしまうらしい。

この移動はかなりしんどかったな。
昨日だって、夜行列車が5時間も遅れたせいで満足に眠れていないのだ。


朝の6時ごろ、とりあえずバスが止まった。
ここがポカラか?

私たちは、ネパールのガイドブックももっていないし
事前の下調べもほとんどしてこなかった。
ただ、インドから逃げるようにネパールにきてしまったのだ。
だから、ポカラがどんなところがまったく知らない。

でも、バスから降りると客引きがいた。
どうやらその宿はレイクサイドにあるらしく、値段も予算内。
タクシーで連れて行ってくれるってことなので、ついていくことに。
2008082202.jpg
部屋に入って驚いた。
300ルピーというその部屋の値段は、インドの安宿と同程度。
むしろちょっと安いぐらい。
なのに、部屋もバスルームも広々。
大きな窓からは山と湖が見えて明るい光が入ってくる。

かなり満足して、ベッドに横たわり、幸せな気分で体を休めたのだった。

昼ごろ、ランチと散歩をしに外に出た。
2008082201.jpg
ポカラのレイクサイドは、まるっきり外国人観光客エリアだ。
小奇麗なカフェあり、お土産屋あり、アウトドアショップあり。
でもオフシーズンだからが、割と閑散としている。

私たちはトレッキングをするわけでもないし、特に滞在の目的がないのだけど
ブラブラするのにはちょうどいい。

食堂で、インドでいうタリーのネパール版を食べた。
豆のスープのダルが温かくて、おいしい。

どうやらここポカラは、
ただのんびりするにはうってつけの場所かもしれない。
2008082203.jpg
エベレストビールうまかった。


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【2008/08/22 22:43】 | 15か国目★ネパール(08.8/22〜9/3) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ポカラでだらだらする
これといってすることもなく、
部屋でベッドにねっころがっているのが非常に心地よい。

横になったまま窓の外に目をやると、
上の方をどっしりとした雲に覆われてはいるが
緑の山々の裾野部分が見える。

実は後から、ポストカードかなんかでポカラのレイクサイドの景観を見てびっくりした。
この厚い雲の中に、白いヒマヤラの山々が隠れていたのをその写真で知ったからだ。

今は雨季だからか、まったくそれらの山は姿を現さない。
2008082401.jpg
かろうじて到着した日、マチャプチャレというポカラの代名詞ともいえる山が、
頂上部分だけをうっすらと見せてくれた。
2008082304.jpg
湖畔で、卓球している地元の人がいた。
ネパールは中国とつながっているし、卓球が人気なのかな。
インド系のひとばかりでなく、モンゴロイドっぽい顔つきのひとも、いる。

アウトドアショップでサンダルと、バックパックカバーが安かったので買った。
今使っているカバーは穴があいたりして、ぼろぼろになってきているのだ。

ちゃんとサイズを言って買ったのに、帰って試してみるとどうも小さい。
店に戻って、もう一回り大きいのに交換してもらう。
また帰って試してみると、それも小さくて入らなかった。
3度目の正直で、また店にいき交換してもらう。
結局ギリギリで入ったのだけど、なんだか暇人だなぁと自分のことを思う。
2008082305.jpg
ネパール餃子のモモと、水牛をぴり辛に炒めたバフチリ。

モモには、野菜入りや、水牛を使ったものなどがある。
そういえばネパールも、インドと同様に、ヒンドゥー教徒が多かったはずだ。
ヒンドゥー教徒は牛は食べないことになっているけれど、
ネパールでは水牛は食べてしまうようで、いろいろなところでバフの文字をみかけた。
水牛は、牛ではないという認識なのかなぁ。



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【2008/08/23 23:22】 | 15か国目★ネパール(08.8/22〜9/3) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
カトマンズへ
ポカラでもうちょっとのんびりしてもよかったけれど、
朝6時ごろのバスで、カトマンズに向うことにする。

このバスチケットの購入の際には、ひともんちゃくあった。

そもそも、宿泊した宿では、もっとお金を落としてくれよーと言わんばかりの
営業オーラをバシバシ感じていたのだけど、私たちはそれらを全て断ってきた。
どこにも行く気はなかったし、ただ自分たちのペースでのんびり過ごしたかったからだ。

毎日それらを断っているからといって、特に嫌な顔をされるわけでもないし、
私たちはわりと居心地のよかったこの宿には満足していたので、
どうせなら、最後に宿でバスチケットを購入することにしたのだった。

もちろん、事前に他の店でリサーチをして、
それらの金額と大差がなかったという前提があったりはするけれども。

なのに、1日前に聞いていた値段より高く提示してきたり、
勝手にバスのランクを下げて予約したりと、
あからさまにお金のことしか見えていない態度にカチンとなり、
相方と宿の人が声をあらげての言い合いになった。

これがインドだったら、決して珍しいことではないかもしれない。

だけどネパールでは、そういう面倒くさいこととは無関係でいられそうな
気がしていただけになんとも残念な気持ちがした。

そんなこんなで手に入れたチケットを片手に、
朝の5時半にレイクサイドをテクテク歩いて向かったのは
宿から2キロほど離れたツーリストバスパーク。

そこにはたくさんの民間バスが止まっていた。
ミニバンっぽいものから大型バスまで、大きさや座席のタイプもいろいろなので
チケットの値段がまちまちなのはこのためだったのかと思う。

そしてどのバスも見事に満員のようだった。
オフシーズンといえど、こんなに外国人がいたんだなぁと感心してしまったほどに。

バスはカトマンズまでの8時間を、何度も休憩しながらのんびり進む。
この道もやっぱり悪路である。
少し居眠りすると、バスがはねた拍子に天井付近のでっぱりに頭をぶつけてしまい
相方はなんとたんこぶをつくってしまった。

だけど、私はといえば、窓の外の風景に釘付けになってしまった。
悪路が苦ではないほどに。

山の急勾配に、これでもかとぎっしり棚田が作られ
青々とした稲が光っている。
そこにインド女性と同じような、サリーやパンジャビードレスを着て働くネパールの女性。
無邪気に遊ぶ子供。
山の中腹には平屋の家が建っていたりして、なんだか日本の田舎みたいでもある。
だけどそんな風景の中、すれ違ったり追い抜いたりする
日本では絶対に見かけない神様がカラフルに描かれたトラック。

国境からポカラまで夜行バスできちゃったけど、
こんな風景が広がっていたのなら、昼間に移動してもよかったなと思った。


あっという間にカトマンズに着いた。

安宿が集まるタメル地区に泊まろうと考えていたので、
ここでも、タクシーで連れて行ってくれるというタメルのゲストハウスの客引きについていった。

ちょっと休んでから近所を散策へ。
少し歩けば、いたるところにヒンドゥーの神様がいる。
2008082402.jpg
木造のお寺を見ると、親近感が沸いてしまう。
2008082403.jpg
軒下には、なまめかしい雰囲気すら漂う神様の細かい装飾があったりして
こんな風な建物は、初めて見る。
2008082503.jpg
クマリという女神が住んでいる館。
中庭からみただけだけど、細かい装飾が見事で、
女神の住処としての雰囲気は抜群だった。

チベットのダライラマも生き神だけれども、
それと同じようにクマリも地元に住む少女が神となっているらしい。

チップを払えば、2階の窓からクマリが顔を出してくれるようだ。
館の前でクマリのポストカードを売っていたのを見たけれど
クマリはまだ幼い顔立ちの少女であった。


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【2008/08/24 10:35】 | 15か国目★ネパール(08.8/22〜9/3) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
カトマンズで本を売り、日本料理屋に感激
私たちが泊まっているタメル地区というのは、
安宿、小奇麗なカフェやベーカリー、ネットカフェ、旅行会社、ランドリー、みやげ物屋という
外国人バックパッカーに必要なものがすべて揃った便利な町であった。

言い換えれば、その中に入ってしまえば
そこがネパールだろうとインドだろうとラオスだろうと
どこも同じように見えてしまう味気ないエリアでもあるのだけど、
同時に食べ物に困らず、英語も通じ、安心感のある場所だというのは確かだ。
2008082502.jpg

それはそうと、私たちがカトマンズに来たモチベーションのひとつは、
「世界一おいしい日本食が食べられるカトマンズ」
とバックパッカーの間で評判の日本食を食べることであった。

そして昨日、到着するなりその日のディナーを和食に決定。
宿の隣に「おふくろの味」という日本料理屋があったので、そこに入ってみた。

店に入ると、いきなり広がる和空間。
メニューは日本語だし、品数も多い。
私たちはとんかつ定食とからあげ定食を注文した。

すぐに湯飲みに入ったほうじ茶とお通し(ナスと肉味噌の和え物)
が出てきて、いやがおうにも期待が高まる。

実をいうと、インド(デリー)にも、日本食の看板は、あった。
まだ飽きるほどカレーを食べてはいなかったけれども、
久しぶりに見る「親子丼」の文字に引かれて注文したことがある。
でもそれは、醤油すら使っていないんじゃないかと思われる創作料理であった。

それを思うと、「おふくろの味」の料理は
まず、ほかほかの白米からしておいしく、
最後にデザートまで出てきて
その味とサービスにふたりともかーなり満足したのであった。

ネパール料理を食べるより、ちょっと値段は張るけれども、
おいしい日本食を食べるときに感じる幸せと、
自分が日本人であることのはっきりとした自覚、
これは日本を離れて外国にいるからこそ感じえるものかもしれない。
などと考え込んだりして。

それから、もうひとつのモチベーションは本。

キルギスで出会ったS君と相方が交換した文庫本に、
たまたまカトマンズの本屋の名前が書いてあった。
そこには、店にまた持ってくると半額バックするとあった。
別にその半額欲しさにというわけでもないけれども
カトマンズでその本を返して、今もっている文庫本を何冊か売ろう!
というのがなんとなく目的のひとつとなっていた。

で、タメル地区にその本屋はあった。
カトマンズを離れ、キルギスで私たちと出会った船戸与一の文庫本は
ここでまた、カトマンズの本屋の棚へと戻されたのだった。
ひとつ任務終了。

だけどこの本屋は、相方がもっていた5冊ぐらいの本のうち、
見た目がきれいな1冊しか買ってくれなかったのだった。

タメルには他にも本屋がある。
自称「和書3000冊の品揃え」というこの本屋で
見事すべて完売。
2008082501.jpg
こちらの本屋の方が、おもしろそうな本がいっぱい売っていた。

ここだけの話、日本の古本屋で100円で購入した文庫本が
カトマンズで80円で売れてしまったりしたのでした。

こうして売ったお金で、新しい本を数冊買った。
巡り巡って本も旅してるんだなぁ。

【2008/08/25 14:30】 | 15か国目★ネパール(08.8/22〜9/3) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
世界遺産を見たまではよかったのだけど…
カトマンズでも、私たちはだらだらと過ごしていた。
魅力的な場所はいくらでもありそうなのに、
気は惹かれても行動するまでの力がでない。

何をするでもなくベッドに横になりながら、
カトマンズのこのけだるい雰囲気は、インドのバナラシに似ているかも、と思いついた。

たった2日しかいなかったバナラシだけど、
私は「地の底」という言葉をバナラシに当てはめていた。

多すぎる神様、大きすぎるガンガー、
そして人間は、牛や犬やヤギと同じように
はだしで地面を早歩きで過ぎる。生きる。
そしてその延長線上に死があり、肉体はガンガーに含まれる。
簡潔すぎるほと簡潔に、そんなイメージを私はもった。

カトマンズもまた、神様であふれている。
神様の力がからみあっているのか、どこか混沌としている。
盆地ということも関係あるのだろうか?
ここもまた、底をイメージさせる。
カトマンズは標高1300m以上の高地にあるっていうのに。
なんだか重くて息苦しい。
空に、神様に、押しつぶされそうなのだ。


それはそうと、インドの国境ラクソウルまでのバスチケットを買ってしまったので
どこかに行くなら今日しかないのであった。

なので、そんなに遠くないスワヤンプナートを見に行くことに。
2008082601.jpg
ここは丘の上にストゥーパが祀られている。
ストゥーパというのはそもそも仏舎利が収められているものであるからして、
ということは、ここは仏教施設のはずである。

なのに、丘へと登る階段のところに、
小さなガルーダの像を見つけた。

ガルーダといえば、ヒンドゥーのビシュヌ神の乗り物として有名である。

でもそういえば、ネパールでは仏教がヒンドゥーに融合されていると聞く。
つまり、ブッダはビシュヌ神の化身ということになっているらしいのだ。
そう考えると、仏教施設にガルーダがいることはそうおかしくはないか。

だけど、純粋な仏教徒の人はどう思っているのだろう。

そんなことを考えながら階段を登っていると、
突然、サルが襲ってきた!

赤いパーカーを着てたから興奮しちゃったのかなぁ。
私の帽子を取ろうと頭を引っかき、歯をむき出して威嚇している。
相方が慌てて、ペットボトルを投げるそぶりで威嚇しかえしたら
逃げていったのでよかったけど。びっくりした!
2008082603.jpg
ようやく頂上まできましたよ。
2008082602.jpg
と思ったら、雨が降ってきた。
ツイテナイ。
ストゥーパに描かれたブッダの目は、4方向をみつめていた。


それにしても、なんだか気分がよくない。だるい。

宿に戻って熱を計ると、40度あった。
最悪だ。
【2008/08/26 15:30】 | 15か国目★ネパール(08.8/22〜9/3) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
高熱との戦い
昨晩は、最初に体温を測ったときが40.1度。
日本からもってきたバファリンをのみやり過ごそうと思っていた。

汗をかき、いったん熱が下がるものの、
すぐにガクガク震える激しい寒気がやってきては
また39度まで熱があがってしまう。

それを一晩で4回ぐらい繰り返した。

今朝、熱をはかってみると、39.9度ある。
結構やばい。

予定していたインド行きは当然キャンセル。
チケットはすでに購入済みだったけど、しょうがない。

とにかく熱を下げたいけれど、バファリンじゃ効かないことが分かったので
相方に地元の風邪薬を買ってもらった。

それを飲みつつ様子をみるけれど、
昨晩と同様に、
高熱→発汗と解熱→激しい寒気と震え→また高熱
というサイクルを何度もくりかえす。
2008082702.jpg
あまりに汗をかきすぎて着るものがなくなったので、相方のシャツを借りたりする。
たまたま部屋がトリプルだったので、ふたつのベッドを交互に寝て、
シーツにぐっしょりしみた汗を乾かすことができた。でもやはり気持ち悪い。
部屋の中は、びっしょり汗をかいた洗濯物でいっぱいだ。

夜も眠れないし、激しく消耗する。
明日の朝まで熱が下がらなかったら、病院にいこうと思う。
【2008/08/27 16:12】 | 15か国目★ネパール(08.8/22〜9/3) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
妙に旅行者慣れしたネパールの医者
最初の発熱から3日目。
結局、今朝も体温は39度台であった。

もうフラフラ。
というか、動けない。

宿の人が、ドクターを呼ぼうか?と言ってくれたので、お願いする。
日本のような感覚で、
点滴でもちょっと打ってくれれば、それでだいぶスッキリするのに、
なんて思っていた。

しばらくしてやってきたドクターは、やたら軽装だった。

しばし問診して、それから大量の薬を私に飲ませた。
ともかくたくさんの薬を飲んだ。何の薬か聞く気力は私にはない。

それから、お手軽ORSを作ってくれた。
以前、相方がインドの病院に行ったとき、
ORSのパウダーがあることをはじめて知ったのだけど
それがなくても簡単に作れる方法を、そのドクターは知っていた。

用意するものは、1リットルの水のペットボトルと、
スプライトの瓶(250mlぐらいかな?)、そして塩だ。

まずペットボトルからコップ2杯分ぐらいの水を出しておく。
そこに小さじ3~4杯ぐらいの塩を入れ、
スプライトを1本そそぐ。スペースがあれば、出しておいた水を継ぎ足す。

これでいつでもどこでもORSが作れる。

ドクターはORSと水とを大量に私に飲ませ、
数分おきに熱を計った。

するとびっくりすることに、30分ぐらいで36度台まで下がったのだ。
でも、次に計ると37度台に上がったので、
ドクターはちょっと困惑した顔で
「マラリアの可能性があるから、マラリアの薬も飲んでおこう」
といって追加の薬を私に飲ませた。

それからドクターはおしっこを見るといい、
私はペットボトルの底を切った容器に尿をいれ、それを見せた。
自分でもおどろいたのだけど、尿には何か白い物体がたくさん混入していた。

ドクターは、アメーバーがいる、と言っていた。
アメーバーとはなにか、良く分からないけど、ウイルスのことかな、と思った。

便はでているか?と聞かれ、
そういえば3日間出ていないと答えた。
すると、それが大事なことであるかのように、下剤もまた私に飲ませた。


ともかく熱は下がったけれど、非常に気分は悪い。まだフラフラする。

だけどこれで一安心、ということか
夕方またくると言い残してドクターは去っていった。


で、夕方、熱は35度台まで下がり、その後上がることはなかった。
ドクターは「よかった、マラリアじゃなかったよ!」と言っていたけど、
本当に違うのか、ちょっと怪しいと感じてしまう。

それにこの人、偉く高い金額を請求してくる。
「日本の保険会社は全額を払ってくれる素晴らしい仕組みになっているから
お金のことは心配しなくていいよ、ちゃんと書類を書くからこれで大丈夫」なんて
妙にお金に慣れた感じもうさんくさい。

まぁでもとにかく、熱は下がった。
だけど熱があるときと同じくらい、気分は最高に悪い。
相変わらずひっきりなしに汗をかき、よく眠れないし。

相方は、汗を含んでずっしりとした洗濯物をランドリーに持っていってくれ、
夜には、例の「おふくろの味」でおにぎりをテイクアウトしてきてくれた。
なんと味噌汁つき!
2008082801.jpg
おいしかった…
【2008/08/28 16:33】 | 15か国目★ネパール(08.8/22〜9/3) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
居心地のよい日本人宿で静養
最初の発熱から4日目。

朝起きると、ナンと体温は34.5度!だった。
人生初の34度代である。
ありえない。これは下がりすぎだ。

ドクターへの不信指数はもうかなり上がっている。
そして相変わらず気分は悪いし、フラフラする。

この感じはいままで何度か経験したことのある、
高熱の後のフラフラ感とはなにか違うのだ。

朝、ドクターが来た。
気分が悪いのは、シャワーでもあびて、朝食を食べたらすっきりするよ
と言うのだけど、もちろんそんなことで直るようなものではなさそうなのはわかっている。

昨日指示されたとおり、久しぶりに出た便をとっておいたのだけど、
ドクターはそれを観察する。

昨日の尿もそうだったけど、目視だけでなにかわかるんだろうか?
それも疑問のひとつだ。

彼は、マラリアでもないし、もう安心だ、と5日分の薬を私にくれた。
もし5日後もカトマンズにいるならば、アメーバーがいないかチェックしたい
ということをボソリと加え、
もしなにか具合が悪くなったら、他の医者じゃなくて必ず私を呼ぶように
ということを何度も強調して出て行った。

確かに熱はないし、何か食べようと隣の「おふくろの味」に行く。
あたたかい雑炊を食べ、満たされる。

相方と相談し、宿を変えることにした。
今の宿は決して悪くない。値段相応の安宿だ。
ドクターを呼んでもらったりとお世話にもなった。
だけど、太陽熱で湯を沸かしているため、晴れている時しか湯がでないのは、
一日中汗をぐっしょりかき続けている私にとってはストレスでもあった。

ドクターが言うように、本当に5日間も休養が必要なのかはわからないけれど、
とりあえず、もう少しゆっくり休める宿でしばらく休養しようということになった。

すぐさまタクシーで、目当ての宿に移動。
道が悪いので、振動が頭に響く。

目的地は「キドホテル」という日本人宿で、
タメルとは離れた静かな場所にある。

現地人スタッフの、いらっしゃいませ、という言葉で迎えられ、
予約はしていなかったけれども部屋は空いていたようで安心した。
具合が悪いことをチラリと言ったからかどうかはわからないけれども、
リビングスペースとキッチンの着いたファミリールームを用意してくれた。
2008082901.jpg
寝心地の良いベッドと、熱いシャワー。そして日本語!
ここならゆっくり休めそうだ。
【2008/08/29 17:07】 | 15か国目★ネパール(08.8/22〜9/3) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
熱はないけど何かがおかしい…
最初の発熱から5日目。

この宿は、朝ごはんがついているのだけれど
それが嬉しいことに和定食なのだ。
2008083001.jpg
白いご飯がおいしかったのだけど、
例の日本料理屋「おふくろの味」を訪れた後だったので、感動は少なかった。
とにかく食べられそうなものだけたべようと思う。
味噌汁を飲むだけでも、なんとなく体にはよいような気がする。

それから、この宿には日本語の小説や漫画、雑誌がたくさんある。
タメルと違って周辺になにもないのだけど
本のおかげで相方は暇しないですみそうだ。よかった。
しかもNHKも見える。


朝食後、もらっていた薬を飲む。

今日は熱がでなかった。
だけど、ひどく気分が悪い。

常にだるく、歩くのもしんどい。
横になっていないとめまいがするのだ。
横になったらなったで、今度は吐き気がする。

常に体がじっとり汗ばんでいて、
少し眠れたと思ったら、びっしょりかいた汗の冷たさで目が覚める。
これは薬で熱が引いているだけなんだろうか?

なんだか喉も痛くなってきたし、新しく違う風邪をひいてしまったのかな?
それとももしや、見当違いの薬を飲んでいるから苦しいのかな?
いろいろな不安がよぎる。

相方は、気分が悪いのは薬のせいかもしれないし、薬をやめてみたらと言う。
でも、薬をやめてまた高熱が出てしまったらと思うと、それも怖い。

明日の朝、まだ気分が悪かったら病院に行くことにした。



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【2008/08/30 20:08】 | 15か国目★ネパール(08.8/22〜9/3) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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