はじめに
20代にできなかった世界旅行を、30歳で彼氏と一緒に!と
2008年2月29日に出発した世界一周旅行。
旅行日数のべ425日、2009年4月29日に帰国いたしました!
最終地のハワイで彼氏は旦那となり…
準備期間から旅行中のあれこれ、事後報告など右のカテゴリ別にご覧ください☆
 
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ちょっとだけパラグアイ
ふぅ。イグアスの滝は、とてつもなく大きかった。

しかも、ブラジルとアルゼンチン、2カ国の国境に位置しているため、
両国にナショナルパークがあって、異なる良さをもった見所があるのだ。
だから普通、観光には最低でも丸一日かかる。

すると当然、どちらを拠点にするかという問題がでてくる。
ブラジル側に宿泊するのか、アルゼンチン側に宿泊するのか。

私たちは、ブラジルのサンパウロから入ったので、
ブラジル側のフォスドイグアスという町を拠点としたわけで(こっちの方が町が大きい)
アルゼンチン側には日帰り観光する予定でいた。

ところがブラジル側の滝観光を終え、アルゼンチンに入国したものの、
この時期アルゼンチンがサマータイムを採用していたこともあり
まさかのタイムアウトで滝にいけなかったのが昨日の話。


よく考えれば、昨日のうちにアルゼンチン側をゆっくり1日観光して、
今日の午前中に、すごそこにあるブラジル側に行けばよかったなぁと朝から後悔することしきり。

イグアスの滝に来て、アルゼンチン側だけ見て帰る人はいるだろうけど
ブラジル側だけという人は少ないんじゃないだろうか。

まぁしょうがない。

今後の予定を考えると、今日アルゼンチン側に行くことはできない。

というのも、今ここでアルゼンチンに入るのではなく、
その前にお隣のパラグアイを少し覗いてみたいからだ。

ブラジルのフォスドイグアスには、パラグアイのシウダーデルエステとの国境もあり、
そこから少し行ったところに日系移民の移住区があるらしい。

南米で一箇所ぐらい、移住区に行ってみたいと思っていたのだ。
今日はそこに向かう。


気をとりなおして、近距離バスターミナルの近くから
シウダーデルエステ行きのバスに乗り込んだ。

ブラジル側の国境で下車して(またもやここで降りたのは数人の旅行者だけ)
出国手続きを済ませ、川にかけられた橋を渡ってパラグアイ側に歩いていく。
2009030101.jpg
けっこういい景色だ。

パラグアイ側の街シウダーデルエステは、なぜか電化製品が安いということと、
そして治安が悪いということで有名な町である。

橋の反対側のたもとにイミグレがあって、
これまたゆるい感じでスタンプを押してくれた。

外に出て、街の案内図を見ると、中華系の名前が多くてびっくりする。

後で聞いた話によると、
シウダーデルエステの治安の悪さは
中華系マフィアによる密売などが元らしい。

国境前にいた両替商に変えてもらったパラグアイ・グアラニーを片手に
タクシーで長距離バスターミナルへと向かう。

今日はこのまま、イグアス市、日本人移住区へ行く予定でいる。


バスターミナルに着くとちょうどアンスシオン行きのバスが出るところで、
呼び込まれるままにバスに乗り、41KM地点まで、と言う。


ふと時計が目に留まる。

ブラジル側のフォスドイグアスとは通常1時間の時差があるはずだけど
サマータイムのせいで時差はない。

昨日のアルゼンチンといい、なんだかひどく混乱する。

イグアスにある3国間の町はかなり行き来が自由にできるのだし
時差なんてないほうが便利だと思うんだけどなぁ。。。


バスは赤土の大地をずんずん走る。
フォスドイグアスは結構都会的だったから舗装道路もあって気がつかなかったけど、
昨日の、アルゼンチン側のプエルトイグアスも赤土の町だった。

途中で停車したときに、なにげなく外をみると、
運転手がお茶をしこんでいるところだった。
2009030102.jpg
こちらでは道路沿いに葉っぱをいっぱい積んであるような屋台があって、
それがマテ茶を売っている店のようだ。

テレレというのは冷たいマテ茶で、
造り方を見ていると、まず根や泥までついているんじゃないかというような
新鮮そうな葉っぱをガバっと取って、すり鉢でゴリゴリつぶし、
2リットルぐらいのポットに氷の塊をガツンといれ、
その中に今すったばかりの葉っぱを投入すればおしまい。

それに直接ストローを刺して飲んでいる。
でもこっちのストローは、おしりの方が閉じられていて、
茶漉しのように小さな穴があいているから茶葉がダイレクトに口に入ってこないようになっている。

それを、片時も離さず、気がついたら飲んでいる。

もしかしたらパラグアイ人、中国人よりもお茶好きかもしれない、と思った。


さて、30分ぐらいして、ここだよ、と国道でバスを降ろされた。
そして、困惑する。うーん、どうしよう。
2009030103.jpg
ここは、日本人の移住区であるらしいのだけど、観光地ではないので表札なども見当たらない。
しかも、着いてから気がついたのだけど今日は日曜日であった。
ぜんぜん人がいない!

とりあえず、宿を探さなくては。
前情報として、この町には福岡旅館というところがあり、
最近はペンション園田というドミトリーの宿もできたと聞いていた。

私たちは福岡旅館を目指したのだけど、いまいち場所がよく分からない。

すると、日本語で声をかけられた。
ペンション園田のおそらく息子さんであった。

そうと分かると、言い出しにくいのだが
福岡旅館に行きたいことを言うと、丁寧に場所を説明してくれた。
だけど看板などは出ていないので、ちっともわからない。

照りつける日差しと荷物の重さに汗をだらだら流しながら
人気のない町中をウロウロさまよっていると、
またさっきの園田さんが現れ、親切にも福岡旅館の前まで連れて行ってくれた。
商売がたきのところに行くというのに、なんてやさしいんだろう。

感謝しつつ、福岡旅館に行くと、そこは普通の一軒家で、
庭いじりをしていたおじさんが、1世の福岡さんであった。

どうやら宿の営業をしている奥さんがたまたま出かけているらしく
娘さんと臨時で対応してくれたような感じだった。

福岡さんはそのまま日本の農家のおじさんといった雰囲気なんだけど
「カマ(スペイン語でベッド)はひとつだけど」とか、
「今日はドミンゴ(スペイン語で日曜)だから」とか、
言葉の端々にスペイン語が混じっているのが興味深い。


お腹が空いたので、国道沿いのシロサワ食堂へ行く。
量り売りで、焼きそばや味噌汁もあった。

日本人会や農協や、1世の人も集まるという居酒屋も日曜なのでお休みだし、
何もできず。少し散歩して帰る。


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【2009/03/01 01:41】 | 35か国目★パラグアイ(09.3/1〜3/3) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
地球の裏側で、日本移民が暮すイグアス市
2009030201.jpg
中央公園の鳥居。


朝、福岡さんの奥さんは、まだ帰らないらしく、
お父さんがこんなのやったことないから大変と言いながら娘さんと朝ごはんを作ってくれた。

イグアスのお米と、納豆と味噌汁。
日本には他にもたくさん食材があるのに、地球の裏側に来てまで
食べたかったもの、造りたかったものは大豆だったのかな、というようなことを思う。

この大豆産業が、イグアス市にとって重要な財産なのだということが、後で分かる。


今日はまず、日本人会に行ってみることにした。
イグアス市の案内ビデオを見せてもらっていろいろとお話を聞くことができた。

しかも、お昼休みを使って大豆畑に連れて行ってもらえることになり、町の案内までしていただいた。

この町には観光案内所がないので、私たちのような旅行者がふらりと来てしまったら
日本人会の方が好意で相手をしてくれているようであった。

仕事の邪魔をしてしまって、悪いことしたなと思ってしまうぐらい親切にしていただき、
有意義な時間となったので大変感謝しています。


南米の中でも、パラグアイに移民が始まったのは比較的新しいことのようである。

ここイグアス市に日本からの移民が来たのは1963年ということだから、
まだ40数年しか経っていない。だから1世の方もまだ多く住んでいる。

そのため日本語や日本の文化もまだ忘れられておらず、
日本色の濃い移民区となっているのだそうだ。
町には太鼓工房があったり、祭など日本の行事も行われている。

日本人会の向かいには立派な日本語学校があり、
子供たちは午前中にスペイン語の学校に通い、
午後は日本語学校に通っているのだそうだ。
バイリンガルも大変だな。

ちなみに、日本語学校の学生が、家で何語で会話しているかといえば、
高校生が100パーセント日本語で会話しているのに対し、
小学生1年生では日本語で会話している生徒が半数以下に減っているという調査結果があった。

これは、移住区で働くパラグアイ人が日本語学校に通うようになったことと、
日本人とパラグアイ人の結婚や、2世同士の結婚などによるものだという。

日本人が次第に現地に溶け込んでいく様子は
先日、ブラジルサンパウロのリベルタージにあった東洋人街を思い起こさせた。

かつては日本人街だったリベルタージは、ずいぶんと寂しくなっていたけれど、
日本人というのは、もしかしたら外国で日本に固執せずに生活できる人種なのかも、とも思う。

そういえば以前、海外で暮す中国人と日本人の
故郷に対する意識には違いがあるという意見を、本で読んだことがある。

華僑たちは外国でも中国文化圏を形成してたくましく生活しているイメージがあるけれど、
一方、日本人には強い望郷の念があるものの、
それはあくまで日本そのものに対してであり、帰るべき場所に対する憧れのようなものなのだという。

だから外国で富士山に似た山を見ては日本を懐かしがったりするものの、
日本人社会の中での暮らしに執着する、というような心の動きはない、というのがその人の説だった気がする。

どうなんだろう。

少なくともイグアス市には、まだ”小さな日本”がそこにあることは事実のようだ。


2009030204.jpg
イグアス市に広がる大豆畑は、
ジャングル状態の土地を1から開墾して作った努力の結晶だという。

現在の平均作付面積は200ヘクタールで、1000ヘクタール以上の土地を持っている人もいる。
農業がなかったパラグアイで、日本人は大豆畑を作り、その輸入先を確保した。
今パラグアイの大豆出荷量の1/3をイグアス市でまかなっているというからすごい。

町には農協があって、日本食も売られていた。

残念ながら私たちはこの後、夜行でアルゼンチンのブエノスアイレスまで行く予定なので
地元の人たちが集まる居酒屋なんかにはいけなかったけど、
できれば1世のおじいちゃんたちとお話してみたかった、と思いつつ、イグアス市を後にした。


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【2009/03/02 13:17】 | 35か国目★パラグアイ(09.3/1〜3/3) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
今度こそ、アルゼンチン。
昨日、イグアス市からローカルバスでシウタ・デル・エステへと戻った私たちは、
荷物を降ろす暇もなく長距離バスターミナルで
ブエノスアイレス行きのバス会社を探した。

ついこの間、ブラジルからバスで国境を越えてチラ見した
アルゼンチン側のプエルト・イグアスのバスターミナルでは、
バス会社のほとんどがブエノスアイレス行きを出していたのだけど、
さすがに、ここパラグアイのシウタ・デル・エステからだと
直行便は2社しか運行していなかった。

その中で、16時ごろに出発するバスがあったのでチケットを購入。
想像どおり、アルゼンチンのバスは、いたく快適であった。

日が沈み始めたころに国境を越えると、
カンビョン、カンビョンと言って車内に両替屋が乗り込んできた。

このあたりは国境を越えても、どこでもスペイン語だ。
スペイン語ができたら、旅も、もっともっと楽しいだろうなぁ。

アルゼンチンに入ってしばらくすると、自社オフィスのようなところでバスが止まった。
乗客たちの流れに乗って着いていくと、食堂のようなところに入っていく。

細長いテーブルに全員が座ると、ボーイさんがエンパナーダとジュースをふるまい、
次にメインの肉とキッシュみたいな料理が乗った皿が大量に運ばれてきた。
2009030302.jpg
夕食付きだとは知っていたけど、てっきり車内で配られのだと思っていたので驚いた。
中国ではこういう食堂での食事付きバスに何度か乗ったけど、それ以来かも。


あっという間に20時間がすぎ、
お昼ごろブエノスアイレスに到着した。

立派なバスターミナルでコーヒーを飲みつつ、
チェックしていた上野山荘という日本人宿に電話してみたけど
いっぱいということだったので、別の宿に向かうことにする。

●VICTRIA 2
トイレシャワー共同、キッチンあり。
ダブル60ペソ。

暗くて典型的な安宿。
だけどアルゼンチンでは、キッチンのあるところに泊まろうと思っていたのだ。

それは、牛ステーキを堪能するため!

近くのスーパーに行ってみると、確かに牛肉がすごく安い。

ステーキ肉、何百グラムか忘れたけど
2人分十分な量で2ドルぐらいと激安で買えてしまう。しかもおいしい!
2009030301.jpg
さすがは人より牛の方が多いというアルゼンチンだ。


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